インカ帝国
出典: Jinkawiki
1200年ごろチチカカ湖湖畔おこり、ボリビアのティワナコ文化の影響を持つインカ族(ケチュア族)によって建てられ、ペルー南部のクスコを中心に南北約3000kmにおよぶ帝国。正式名称はタワンティン・スーユ。インカとは、「太陽の子」の意味である。
初めはクスコ一帯を治めていただけであったインカ帝国はであるが、100年あまりで、チャチャポヤス、チムーなどの文化を征服し、北はコロンビアの北部、南はチリの中央まで征服するにいたった。
広大な土地を治めていたインカ帝国であったが、1525年に異母兄弟のワスカルとアタファルパによる内乱がおこった。その内乱は北軍アタファルパが勝利におわった。しかし、その直後、金を多く持つインカ帝国に目を付けた、フランシスコ・ピサロが率いるスペイン軍の遠征、侵略により1533年に征服された。
社会・文明
インカ(太陽の化身である王)を頂点とするピラミッド型の社会。
極度に発達した石造技術により、神殿・宮殿・都城・灌漑施設・道路などが建設された。道路は都のクスコを中心に大道路網(王道)が整備され、駅伝制を伴い、広大な領域の統合をはかるために有効であった。
文字を持たず、文字の代わりに縄の結び方で意味や数量を表すキープ(結縄)を用いて、人口や徴税の把握などを行っていた。
青銅器を使用し、金銀を装飾用に大量に用いた。
参考
・http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A4%A5%F3%A5%AB%C4%EB%B9%F1
・http://www.mucha-suerte.com/pais/peru03.html
・山川『世界史用語集』