エスペラント
出典: Jinkawiki
エスペラントは中立公平で学びやすい国際共通語である。
エスペラントは民族の言語や文化をその歴史的遺産として尊重し、大切にすると同時に、それぞれの言語や文化の違いを越えて人々がコミュニケーションできるようにするために、橋渡しの役目を果たすことを目的としている。このため、母語の異なる人々の間で意志疎通をはかろうとしたときに、一方の側の言語である民族語(日本語や朝鮮語やイングランド語など)をもちいると常に生じる言語上の不平等(言語差別)と、民族語の学習・修得の困難さがもたらす言語上の障壁を解消するための補助語として機能する。
エスペラントの特徴として、特定の民族集団や国家、地域と対応しておらず、その大部分の話者が、この言語を自分の意思によって選択して学習し、その結果として習得した人であるという点が挙げられる。このため、エスペラントの使用者(エスペランティスト)はそれぞれ個人として平等の立場に立って話し合うことができる。この意味でエスペラントは中立公平である。
エスペラントは1887年、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフ(L.L. Zamenhof)が提案したもの。単語の要素(形態素)を主にヨーロッパ諸語から取り入れながらも、語構成(造語法)と文法が整理されていて(その構造には日本語・朝鮮語などとも似たところがある)、他の言語に比べてはるかに容易に修得することができる。
特定の民族集団や国家、地域と結びついておらず、個人の自由意志に基づいているため、エスペラントによる言語活動の基盤は必ずしも強固とはいえず、また、捉えにくい側面がある。しかし、2回の世界大戦、冷戦体制とその崩壊などの社会的な激動の中を、120年以上にわたって、エスペランティストたちは中立公平な国際共通語の実践を続けてきた。これらの人々の活動によって、エスペラントは生きた言語として育ってきている。 世界では、ヨーロッパが活動の最も盛んな地域であるが、アジア、アメリカ、オセアニアそしてアフリカなど世界各地にエスペランティストがいる。
東アジアでは日本の活動が特に有力である。エスペラントは20世紀のはじめごろからさまざまなルートを通して日本に伝わってきたが、1906年に 二葉亭四迷が日本最初の教科書を刊行し、黒板勝美らによって日本エスペラント協会が設立されて、組織的な活動が始まったというものがある。その後、多くの人々が直接間接にエスペラントに関わり、活動が続けられてきた。
特に、母語を異にする人々の間の接触の機会が増えている現代にあっては、エスペラントは一層その重要性を増してきているといえる。