エスペラント語Ⅷ
出典: Jinkawiki
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エスペラント語
エスペラント語は国際補助語の一つである。国際補助語というのは、母語や国語の違った人々がお互いに意思疎通をはかるための非自然言語 を指す。英語、フランス語、中国語、ロシア語などは広く使われてはいるが、これらの言語は、それを母語として生活する人々がいる自然言語なので、 国際補助語とは普通は言われない。
エスペラント語の誕生
19世紀の末にラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフという人がいた。ポーランドのユダヤ人の家庭に育った眼科の医者で、言語学者でもあった。ザメンホフが生きた時代も世界のさまざまな地域で絶えることなく戦争が起こり、抑圧と人権侵害とが蔓延っていたのだが、彼は戦争を避け平和を長続きさせるためには多くの人々に共通する言語が必要だ、それ用いて人々が国境を越えて話し合い理解し合うことが戦争を避けるために不可欠だと考えた。そこで人々の国語を越えた共通のことばを作ろうと決心した。それは1887年に自費出版によって公表された。
エスペラントの文法
エスペラント語は非常に簡略な文法をもっていて、覚えやすく使い易い人工言語である。エスペラント語なら、わずか16条の文法と2400の単語を覚えるだけで、日常会話に困ることはまずない。これが英語なら、500ページにも上る文法書をマスターし、一万近い単語を覚えなければならない。とりわけヨーロッパの諸言語を知っている人には学習しやすい、というのは語彙の大多数がラテン語起源であったり、多少の変化はあってもヨーロッパの諸言語に共通するからである。名詞はすべて-oで終わり、形容詞は-aで終わる。動詞の活用語尾は現在形(-as)、過去形(-is)、未来形(-os)、仮定形(-us)、命令形(-u)、不定形(-i)などの形をとる。一般に動詞の活用形式に例外はない。
日本エスペラント教会
ザメンホフに共感した人々は1905年にフランスのブローニュ・シュル・メールで第一回のエスペランティスト世界大会を開いた。日本でもその翌年1906年に日本エスペラント協会JEAが創立されている。しかしエスペラント運動は決して平坦な道を歩んだのではなかった。 とりわけ1930年代には、エスペラント運動が大杉栄などが率いる左翼運動にかかわる人々に担われていたので、甚だしい官憲の弾圧を受けた。エスペラント語の辞書に別の本のカバーをつけて持ち歩いたことなどもあったそうだ。
しかし第二次世界大戦後もエスペラント運動は発展し続け、今日では日本エスペラント学会によって毎年大会が開かれている。今年の大会には300名を越える会員が集まったと言う。世界のエスペランティストは今では200万人とも言われている。さらにエスペランティストの両親に育てられた子供が両親のエスペラント語を習得してそれを母語として育った人々、つまり、エスペラント語の母語話者も多くいるようだ。この人達は第一言語がエスペラント語、第二言語、第三言語がその人をとりまく言語ということになる。
参考文献
http://www1.jcn.m-net.ne.jp/mat/Eestas.html
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88-36581