エスペラント10

出典: Jinkawiki

'エスペラントはいつごろだれが作ったのか'

エスペラントは、ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof,1859-1917)によって、 1887年7月に発表されました。ユダヤ人として激しい民族差別に苦しんだ彼にとって、「諸民族の対等な交流の手段としての中立言語」を作り上げることは、少年時代から一貫する人生のテーマでした。

試案として発表するだけなら、ザメンホフ以前にも以後にも「国際語」はいくつも作られています。そしてそれらのうちのほとんどは、流れ星のようにどこかへ消えてしまいました。

まだ希薄ではあるとはいえ、エスペラントが地球の陸地表面全体をつつむネットワークに成長したのは、人生をかけてこのことばを開発し、発表と同時にこのことばについての著作権を放棄したザメンホフに、そしてまた「諸民族の平和と共存」という理想を分かち合い、普及運動に身を投じた先人たちに多くを負っています。

エスペラントのことばとしての基礎はこの人たちによって確立されました。もはやどのような強大な力もエスペラントを圧殺することはできません。しかし、人類の共通語 - 人間が対等に意思を疎通するための道具 -を作るという、この壮大な実験は、まだようやくその第2段階に達したばかりでもあります。ですから、エスペラントを学び、実用し、普及活動に携わるすべての人が、今まさにこのことばを作りつつある、とも言えるのです。


'世界、日本で何人の人がエスペラントを使っているか'

この問題に正確に答えられる人はだれもいません。というのは、日本語なら日本の人口とほぼ同じ1億2千万人が話していると言えますが、エスペラントの場合はその「母国」がないからです。また、どの程度の学力があると「使っている」ことになるのかというのも基準がないからです。

人数を算定する基準になる数字としてあげられるのは、世界エスペラント協会と日本エスペラント学会の会員の数です。 1995年の世界エスペラント協会の個人会員(あらゆるカテゴリーを含め)は、7036人です。世界エスペラント協会には各国のエスペラント協会が団体加盟していますが、その各国の会員数は 合計21531人です。日本エスペラント学会の会員は、1996年10月付で1400人です。しかし、学会に加盟していないエスペランチストもたくさんいます。エスペラント世界大会の参加者は、 94年(韓国)1776人、 95年(フィンランド)2443人、 96年(チェコ)2703人です。日本からの参加者はそれぞれ512人、175人、172人です。世界大会に行ける人はほんの一部です。

問題は、こうして表に出てくる人数の裏に、その何倍のエスペランチストがいるかということです。

一般には世界のエスペランチストの数は100万人と言われています。日本ではl万人くらいはいるのではないかと言われています。世界で100万という数は、中国語の12億などという数に比べると比較にならない数ですが、逆にアイスランド語30万人などと比べれば、多いとも言えます。世界に3,000~5,000あると言われる言語の中では、多さの順位としては100位以内には入るのではないでしょうか。

エスペラントの特徴としては、世界に薄く広く普及しているということです。英語など若干の言語以外は、話されている範囲が限定されて、その国を出るとほとんど役に立ちませんが、エスペラントの場合は、世界の112カ国に組織があり、しかもエスペランチストどうしが深い同志愛で結ばれているということです。こうしたエスペラントの特徴は、使い手の数の上での「少なさ」をカバーして余りあるものなのです。


'エスペラントはどういう文字を使っているか'

エスペラントは次の28文字(大文字と小文字)を使っています。

英語のアルファベットと比べると、^ と (字上符)のついたもの6つが多く、 q w x y の4つがないことがわかります。

ただ、ここで注意したいのは、英語は確かに日本人にとっていちばん身近な外国語なので英語を比較の対象に考えたくなりますが、英語はこの種のアルファベットの本家では決してないということです。もともとは古代ロ一マの言語、ラテン語のための文字でした。ヨーロッパの大抵の言語はそれぞれの言語に合わせて新しい文字を作ったり、文字の上下に補助符号を加えて新しい文字にしたりしたのです。

英語は、wを独立した文字としてよく使うようにしたことを除けば、あまり変更を加えていません。 (ただし、英語の中でも のような固有名詞や のような外来語では補助符号を使うことがあります。) しかし、その一方で、英語は文字と発音の間のとんでもない不規則性という大きな代償を払うことになりました。

エスペラントの字上符の付いた文字は一見なじみにくく見えます。現在のコンピュータでは扱いが難しいという問題点もあります。しかし、これは英語以外の世界の大部分の言語についても同じことなのです。人間にとっては、字上符のあるおかげで一字一音、一音一字の原則が実現できていることの恩恵の方が大きいはずです。


参考文献 <Revuo Orienta (1997年1月号) 特集記事より>引用


'ザメンホフの生い立ち'  エスペラント語の創始者ラザル・ルドヴィコ・ザメンホフは、1859年にポーランドのビャウィストクで生まれた。その後、1873年にワルシャワへ移り、ワルシャワ第二古典ギムナジウムに転校した。1878年には国際共通語として「リングベ・ウニベルサーラ」を学友会に発表し、1879年にモスクワ大学の医学部へ入学した。1881年にワルシャワ大学へ転校し、1882年にはホベベ・ツィオン(シオンへの愛)の会の創設に関わった。1887年にはエスペラントを初めて世間に公表した。1893年には家族と共にグロドゥノに引っ越し、眼科医を開業したが、その後1897年にウィーンでもう一度眼科学を学び、ワルシャワ市の貧民地帯であるジカ街に移っている。1917年に、58歳で亡くなった。エスペラントでほんやくした書物としては、ディケンズの「生命の闘い」(1891年翻訳完成)、「ハムレット」(1894年)、トルストイの「理性か信仰か」(1895年/ただし、これを「エスペランティスト」という雑誌に掲載したため、ロシア国内への搬入禁止処分を受けた。)、ゴーゴリの「検察官」(1907年)、1915年「旧約聖書」などがある。


'エスペラントへの批判'  エスペラントを初期に批判した者として有名なのは、デンマークの言語学者オットー・イェルスペルセンだ。彼は、エスペラントの語彙を批判した。ザメンホフは、ロマンス系やゲルマン系の言語から語彙を選び取っていたが、同時に自分で作った言語もそこに入れていたのだ。そのためアプリオリな語形ができてしまったのである。また、彼はザメンホフの母語がスラブ系であったためにエスペラントに多く見られるシュー音や二重母音や字上符、さらには現代の言語に当てはめて元の語形を知ることが難しいという点などを批判している。  エスペラントは学びやすい言語であると同時に、学びにくい言語でもある。例えば、英語で「forest」という単語は「森」という意味になるが、エスペラントでこれを訳すと「欠席」という意味になる。このようなエスペラントの単語のあり方を、ノルディングという人物は批判している。彼は、ザメンホフの言語は気まぐれによって作られたものだとしている。

'参考文献' ・『ザメンホフ――世界共通語(エスペラント)を創ったユダヤ人医師の物語』 小林司著 2005年発行 原書房 p.287-291 ・『国際共通語の探求――歴史・現状・展望』 アンドリュー・ラージ著、水野義明訳 1995年発行 大村書店 p.164-172

H.N:C.K.


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