エリザベス救貧法

出典: Jinkawiki

エリザベス救貧法 1601年エリザベス1世により制定された世界で最初の国家的な救貧制度。1834年の救貧法改正に至るまで事実上イギリス救貧政策の指針となった。教区が救済行政の単位となり、貧民監督官に救貧税の課税と分配、浮浪者の就職の責任を持たせる。 <制定の背景> 16世紀に入り、増大した乞食や浮浪者は、生活に困窮し、各地で大きな暴動を引き起こすまでになった。そのため貧民を取り締まる必要にせまられたヘンリー8世は、1531年「乞食取締令」を発し、乞食を労働不能な者と可能な者に分け、前者に対しては乞食許可証を発行し、後者に対しては鞭打ちの刑などを科し、出身地に強制送還するなどを行った。これが、貧民を救済するのではなく、犯罪者視し、治安対象と考え厳しく管理していくという救貧法の先駆けとなった 。 <内容> エリザベス救貧法は貧民を労働可能な者、不能な者、身寄りのない児童に分けた。 ①労働可能な者には、材料や道具を与えて労働させる ②労働不能な者は施設に収容して生活扶助を行う ③児童は従弟奉公に出す

救貧制度はその後、幾多の改正をみたが、20世紀になるまではその基本的性格は、貧民を労働力としては重視するものの、危機視、惰民視、これを管理し取り締まるべき対象と考えていたことにはほとんど変わりなかった。 H.N:コリア


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