オイルショック4

出典: Jinkawiki

[第一次オイルショック]

1970年代に原油価格の急激な高騰が起こった。石油ショック、オイルショックと言われ、日本にも経済に大きな打撃を受けた。日本ではトイレットペーパーの買い占め騒動、ガソリンスタンドの休日休業やネオンサインの夜間23時までの制限をもうけるまでになった。石油危機を契機に世界的なエネルギー節減運動がおこった。  石油危機の原因となった第四次中東戦争は、1973年にサウジアラビアはイスラエルを軍事支援するアメリカを激しく非難した。これは、アメリカが中東の抱える諸問題を解決しようとしなかったからである。10月6日にエジプト軍がスエズ運河東岸、シリア軍がゴラン草原に進撃して、アラブ諸国VSイスラエルの第四次中東戦争が勃発した。一五日には、サウジアラビア軍も参戦し、アラブ側参戦国は10カ国に達したが、アメリカの巨大な運磁力を背景にしたイスラエル軍がアラブを圧倒した。  17日にOSPECのクウェート、リビア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルジェリア、カタール、バーレン、イラク、シリア、エジプト、の10カ国が石油戦略を発動した。10カ国の国々はイスラエル国に対して、石油輸出禁止政策を断行した。石油価格の高騰で得た石油収入をイスラエルと交戦しているエジプト、シリア、の財政援助に回した。この石油戦略により石油危機(オイルショック、石油ショック)が世界の産業界に襲いかかった。その後も次々と原油生産削減、石油輸出禁輸に移された。この政策によりアラブ側はそれまでの圧倒的不利な状況を覆すことができた。  しかし、石油危機に乗じた原油値上げによりメジャーは空前の利益を上げて、このことがイスラム諸国の大衆に一層の貧困をもたらす現象となったが、原油価格は1973年と比較して、3$/Bから12$/Bと約4倍近くに値上がったために、世界経済に大打撃を与えた。  

第二次オイルショック

 欧米や保守的アラブ産油国(サウジアラビア)は、1979年のイラン・イスラム革命以来、他国にもイスラム革命が波及することを恐れ、隣国イランをけしかけた。以前からイラン、イラクの国境線に不満をもっていたイラクのフセイン大統領は、欧米やアラブ保守国の援助を受けてイランに武力侵攻した。その後両国の泥沼戦争が9年続いた。イラクはこれらの国々からの援助によりアラブ最大の軍事国家となった。両国の原油の輸出がストップしたために、石油価格は2次ショック以前の13$/Bから24$/Bと2倍になった。 参照 http://www9.ocn.ne.jp/~petro/oilcrisis.htm


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