オランダの柱状社会
出典: Jinkawiki
オランダの宗派別あるいはイデオロギー別に分離した社会を、オランダ語では「フェルザウリン(verzuiling=柱)」と言い、「柱状社会(ピラー・ソサエティ)」と訳すことができる。一つの分割された縦割り構造の社会を「柱」と表現している。
(柱状社会が進んだ背景)
柱状社会は、19世紀末以降、産業化で階級対立が深刻化し自由主義が台頭する過程で形成され、政治に参加し始めたカルヴァン派やカトリック勢力が階級協調的キリスト教社会観を背景に、社会の各層を横断的に組織化したことによって強固になった。当初、社会主義派は柱状化に反対していたが、キリスト教系の「柱」が独自の労働組合や経営者団体を組織化し勢力を増大するのに成功すると、彼らも促進せざるを得なくなった。また社会システムとして意味をなしてきたのは、1917年の学校への補助金問題が解決したときとされている。カトリックもプロテスタントも、産業政策・教育・社会保障制度などを国が管理・運営するという国家介入に対し、強く反対した。学校問題は公立学校の促進と、宗教派学校に対する補助金削減の動きがあり、各宗派が激しく反対したもので、その結果、最終的に宗派別学校に対する補助金を比例制により拠出することになった。各「柱」の指導者たちの大連合を首相が呼びかけて成功したことで、より社会の柱状化の重要性が認識されたのである。
(柱状社会の構造)
1960年代までは、プロテスタント・カトリックの宗派別、社会民主主義派、自由主義派などの政治信条別に、それぞれが全く別の社会グループを形成しつつ、オランダ国家を形成してきた。この両勢力は、政党を頂点に雇用者団体や労働組合、農民団体、さらには新聞・放送局・福祉団体・学校に至るまで系列化を進め、宗派別の独自の組織化を行うことに成功する。そして、組織の支持者や会員、商店の顧客などはグループの中で結びつき、住まいのあるコミュニティさえ、時には集中していた。 そして1970年代までに、五つの主要政党が存在し、それぞれが四つの柱に依拠している。 労働組合も70年代までは四つに分かれていた。経営者団体・農業団体・小売団体はカトリック、カルヴァン派、自由主義派の三つに分かれ、農業労働団体はカトリック、カルヴァン派、社会主義派に三分されていた。学校も初等から高等教育に至るまで、「柱」別に徹底して区分され、特に中等教育以下では宗教的私立学校が現在でも強い影響力を示している。こうした柱別の編成が、個々人の柱内への意識をはぐくみ、友人関係・結婚・就職などにおいて強力な「規制」となっていた。
(柱状社会の衰退)
オランダ人政治学者レイプハルトによると、柱状社会の比率をカトリック34%、社会主義派32%、プロテスタント21%、自由主義派13%としていた。最新の政府統計(97年)と比較してみると、カトリック32%、プロテスタント23%、その他宗教7%、無宗教が40%となっている。20世紀初頭から1960年代までオランダの国民の半数近くが、これらのいずれかの「柱」に所属していたが70年代、80年代にはほとんどなくなってしまった。その原因として、グローバリゼーションの進展で世俗化や教会離れが本格的に起こり、政党労働組合の改編・各種政治的指導者たちへの信頼の減退・市民の政治的参加の形態の変化グローバルな社会の変化の中で、旧来の柱状社会が現代の世界に合わなくなったともいえる。しかしオランダ社会の中には、依然として柱状的な社会風潮は残っており、柱状社会時代の団体も統合されずに残っているものもある。今でもしばしば柱状社会論が話題に上る背景には、オランダの寛容性が持続的に人々の中で内面化されてきたということである。
※ 『オランダモデル 制度疲労なき成熟社会』長坂寿久
※ 『EU諸国』小川有美