オリンピックの歴史

出典: Jinkawiki

アマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指したオリンピックであるが、二度の世界大戦や、ミュンヘン大会におけるテロ事件、冷戦下でのアフガニスタン戦争に伴う東西のボイコット合戦など、時々の国際政治の影響は大きい。特にヒトラー政権下による1936年のベルリン大会は、五輪そのものが利用された色彩が強く、聖火リレーのルートを後日ドイツ国防軍がそのまま逆進したとされたり、ナチズムに対する批判をかわすために一時的にユダヤ人政策を緩和したりするなど、政治が大きく陰を落としたものとなっている。なお、夏季大会において、第1回大会からすべて参加しているのは、ギリシャ・イギリス・フランス・スイス・オーストラリアの5か国のみである。

目次

黎明期

クーベルタンの提唱により、第1回オリンピックが1896年ギリシャ・アテネで開催することになった。資金集めに苦労し、会期も10日間と短かったが大成功に終わった。1908年、1912年のロンドン・ストックホルム大会から本来のオリンピック大会としての体制が整いだした。

発展期

第一次世界大戦で1916年のベルリン大会は、開催中止となったが、1920年のアントワープ大会から再開され、初めてオリンピック旗が会場で披露された。この時期は、選手村・マイクロフォン(1924)、冬季大会の開催(1924)、約3週間の開催期間(1928)、聖火リレー(1936)など、現在の大会の基盤となる施策が採用された時期である。その後、第二次世界大戦でオリンピックは2度も流会してしまう。

拡大期

第二次世界大戦が終結し、1948年ロンドンでオリンピックが再開されたが、敗戦国のドイツ・日本は、招待されなかった。1952年のヘルシンキ大会よりソ連が初参加し、オリンピックは、名実とともに「世界の大会」とよばれるようになり、同時に東西冷戦を象徴する場となり、アメリカとソ連のメダル争いは話題となった。そして、航空機の発達により、欧米のみに限られていたオリンピック開催地を世界に広める結果となり、1956年のメルボルン(オーストラリア)、1964年東京(日本)と新たな開催地が仲間入りした。

オリンピック冬の時代

オリンピックが世界大会大イベントに成長するに従って政治に左右されるようになる。その影響から、テロ事件やボイコットなどがおこるようになった。また、オリンピックが巨大化するに従って、財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では、大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1~2都市だけという状態が続いた。

商品主義とプロ化

1984年のロサンゼルス大会は、画期的な大会で、オリンピックをショービジネス化した。結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ、聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会スポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈するようになり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入されるようになってゆく。

(参考文献) ・近代オリンピック100年のあゆみ(日本オリンピック協会監修 ベースボールマガジン社 1994年) ・『オリンピックと商業主義』(小川勝 集英社新書 2012年)

(参考サイト) ・Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/近代オリンピック

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