オリンピック2
出典: Jinkawiki
古代オリンピック起源
古代オリンピックは紀元前776年から紀元後393年まで1169年間に293回開催された。戦争を休止する証として古代オリンピックが行われて、はじめは王位継承を神々の意思で占うものであったり、戦死した勇者の魂を天に送り届ける葬祭競技として催された。 その頃の古代ギリシャではスポーツを市民的教養の必須条件とされており、市民はポリス(都市国家)の広場に作られた運動施設に出向いて身体を鍛えた。美的な肉体の完成を理想として肉体的な強さと優越性を徳とすることからボクシングやレスリング等の格闘技または陸上が中心であった。そして戦時を中断して、平和なもとで巨大競技大会を開催して、日頃の鍛錬を見せる場として一躍をかっていたのが古代オリンピックなのだ。
オリンピックの産声
古代オリンピックの時代はさまざまな国が戦争を繰り返し、支配し、支配された。その中で戦争を中止して平和の証としてオリンピックが開催された。これは古代ギリシアの象徴とも言えて、ギリシア人には誉れの一つであり、当時自身たちの力を他国にも見せつけている行事でもあった。そんな古代ギリシアも滅びの時が訪れる紀元前338年にマケドニア王国に征服されて、古代ギリシア文明は終わりを見せたが、古代オリンピックとという巨大競技大会は継続された。その後ギリシャがローマ帝国に支配されるようになると、ギリシャ人以外が参加し、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めたことでギリシアの神々をまつった大会が他宗教により維持が難しくなり古代オリンピックは滅んだのだ。 しかし、オリンピックの機運はルネサンス時代以降高まっていくことになる。今度はギリシア人のみならずヨーロッパ人が聖地オリンピアへの憧れを抱くとともに高まっていく。そして1894年6月に行われたスポーツ競技者連合の会議で、ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックを提唱して、その開催のために必要なオリンピックの運営機関の国際オリンピック委員会(略:IOC)設立に尽力した。こうした中で1896年のアテネで近代における初のオリンピックが産声をあげた。
オリンピックの変貌
現代では、オリンピックは国同士の戦いと捉えている人が多いとおもうが、第一回オリンピックからそうではなかった。歴史をさかのぼると、第三回(1904年)セントルイスオリンピックで金・銀・銅メダルが初めて授与された。そして、次の第四回(1908年)ロンドンオリンピックの開会式ではそれぞれが国旗を持ち、入場するといった現在のような形となった。これは、スポーツの勝敗が社会的影響力に大きな影響を与えたからだ。これを危惧しセントポール寺院の主教が「オリンピックの意義は、勝つことではなく参加することである。」という説教をした。しかし、その傾向には歯止めがかかることはなく、1936年のベルリンオリンピックではナチス・ドイツがオリンピックを政治的宣伝の道具として演出するといった、「スポーツの政治化」へとつながってしまうのであった。