オルタナティブ・スクール3
出典: Jinkawiki
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概要
オルタナティブ・スクールとは、もう一つの学校,代りの学校などと直訳できる。しかし,alternativeという語には〈思想や行動における重要な変化〉というニュアンスがあり,従来の学校教育とは異なった学校を意味する。この種の試みは,近代には〈新教育〉運動などの形で不断にあったが,オルタナティブ・スクールは,1960年代後半にアメリカに起こったフリー・スクールfree school,オープン・スクールopen school,〈壁のない学校〉などとさまざまな名称で呼ばれる学校教育改善の営為を指している。 既存の学校とは異なる学校を求めることであるが、日本のように、学校教育法および標準法、そして学習指導要領などで、学校教育の形態および内容が詳細に、法的に規定されているのとは異なった学習の仕方をとる学校のことである。
日本におけるオルタナティブ・スクール
日本におけるオルタナティブ・スクールはJASAという機関がとりまとめている。概念としてはこれまでの学校教育における、「いじめ」「不登校」「校内暴力」などの様々な歪みや弊害を改革するための教育活動を行うものであり、それに同調した学校をサポート校として運営している。サポート校では、厳しいガイドラインを設け、自主規制を行いながら、行政や社会に対して認知活動を行うことを目的に、1996年、全国通信制サポート校協議会を発足させました。そしてこの協会が、より幅広い活動をするために、またより明確に会のあり方を示すために、2000年3月1日付をもって名称を変更し「日本オルタナティブ・スクール協会」とし、現在に至っている。
オルタナティブ・スクールの発生
第二次世界大戦後、勝った国も負けた国も資本主義の停滞が叫ばれていた。国家のための教育から、個人のための教育への転換の試みは、いわゆる伝統校に対する革新的な試みとして、ヨーロッパのいくつかの場所で再び活動を始めていた。中でもイギリスにあったいくつかの革新的な学校は、その後の各国のオルタナティブ教育に対して大きな影響を与えることとなる。それらのヨーロッパにおけるオルタナティブ・スクールにおいて共通していた理念は、学習する権利は学習者の側にあるということと、教育の主体である学習者たちの自治を認めるということであった。ヨーロッパ諸国における経済の停滞による社会観の変革が教育に与えた影響は、前衛的に行われていたオルタナティブ・スクールの実践や考え方を国家教育の側が摂取するという形で現れることとなる。具体的なことを言えば、オランダ・デンマーク・イギリスなどを中心として学校設立の自由が大幅に認められることとなり、規模が小さくとも親や家庭や地域立の学校を作ることができるようになったことがあげられる。これがオルタナティブ・スクールの発生である。
参考文献
JASA http://www.jasa.ne.jp/ オルタナティブ教育の試み(脱・国家教育の試み) http://www.kaze.gr.jp/weaving/essay/alternative-chap2.htm
HN:alpha