キューバ危機2
出典: Jinkawiki
'はじめに'
キューバ危機とは、アメリカとソ連が核戦争のまさに瀬戸際までいって立ち止まったものです。もし核戦争が起こっていたなら、1億人のアメリカ人、1億人以上のソ連人、数百万人のヨーロッパ人が死んだといわれています。このきっかけは、ソ連が同盟国であるキューバに中距離弾道ミサイルを持ち込んだことをアメリカの偵察機によって発見されたことでした。この時のアメリカの大統領であったJ,F,ケネディは、「核戦争が実際に起こる確率は1/3から1/2と思った。」という有名な述懐を残したほどでした。結局は、アメリカがカリブ海でのソ連船臨検などによる強硬戦略によってソ連が譲渡、ソ連も面子を保つ形で危機は収束しました。しかし、元はといえばアメリカがキューバに対して侵略行為といってもいいようなことをやっていたので、キューバはアメリカと敵対関係にあったソ連のミサイル持込を受け入れたのでしょう。アメリカは巨大な国なので、今も昔も、介入したがる傾向にあります。ある程度まではそれでもいいとは思いますが、必要以上には介入すべきではないのではないでしょうか。自国のことは自国自身が決めることが大切なのですから。 ちなみに、空爆が始まる危険があった日を「暗黒の土曜日」ソ連がミサイル撤去を発表した日を「黄金の日曜日」と言われています。
'キューバ危機(1962年)'
1962年10月に、当時のソ連がキューバに攻撃用のミサイルを設置したために生じた事件です。 米ソの全面核戦争の危機が迫ったキューバ危機における両国の指導者は、アメリカはケネディ、ソ連はフルシチョフです。 米ソの全面核戦争が起こった場合の被害予測は、(1963年 アメリカのハドソン研究所のシミュレーション)アメリカ人口60%(約1億4000万人)、ソ連人口40%(約1億人)が死亡でした。
危機後、米ソは急速に接近し、1963年に米ソ直通電話 (ホット・ライン) がつくられ、部分的核実験停止条約が成立するなど、米ソ平和共存と「雪解け」ムードが生まれました。
'キューバの歴史'
○キューバの歴史は{スペイン植民地→アメリカ支配→社会主義}の3つの時期を経ています。
【スペイン植民地】 1492 コロンブスが第1回航海で到着→スペインの植民地となる 18世紀末 砂糖革命:砂糖の奴隷制プランテーションが発達 19世紀後 スペインからの独立運動起こる
【アメリカ支配】 1898 アメリカ・スペイン戦争(米西戦争)→アメリカ勝利 ・キューバはスペイン支配から離れ、アメリカの軍政下に置かれる。 1902 キューバ独立、しかし事実上アメリカの保護国に ・アメリカがキューバの憲法に、プラット修正条項(アメリカのキューバに対する干渉権、海軍基地提供義務などを明記)を盛り込むよう強制 1934 バティスタ政権の成立:対米従属が強まる 1956 カストロ、ゲバラらがバティスタ政権打倒の闘争を開始 ・アメリカはバティスタ支援の武器援助をおこなう
【社会主義】 1959 キューバ革命:バティスタ政権崩壊、カストロの革命政権樹立 1961 キューバが社会主義革命を宣言、ソ連へ接近、アメリカと国交断絶
参考文献 <(NHK取材班 『十月の悪夢 キューバ危機 戦慄の記録』 NHK出版 1992年 p163-203 >
<www.cc.kyoto-su.ac.jp/~yamadaka/data/02nyumon-6.htm>