キルケゴール
出典: Jinkawiki
キルケゴールはデンマークの哲学者、宗教思想家である。ニーチェと並ぶ実存思想の創始者と評価されている。マルクスと同じ時代を生き、共に、当時非常に影響力の強かったヘーゲル哲学の根本的な批判者であった。マルクスが経済社会の実態の矛盾を分析してヘーゲルの観念論を転倒させたのに対し、キルケゴールは、思弁的なヘーゲル哲学の客観性を批判し、人間の肉体と精神を対象化して掘り下げ、不安と絶望にとらわれる近代的人間の生を実存的に描いた。
キルケゴールの生涯
キルケゴールは、引退した裕福な毛織物商の末子としてコペンハーゲンに生まれた。父親の強い影響力のもとで成長し、1830年にコペンバーゲン大学に入学する。1835年の秋頃、自ら大変革を内面的に体験した、その体験とは相次いで家族を亡くしたために自分も34歳までに死ぬと確信したこと、父親が少年期に神を呪ったことがあり、しかも女中を犯したという事実を知ったこと、そしてその罰として自分の家族が末梢されると信じ絶望したことであるとされる。この体験は、その後の生涯を決定づけた。
また、1841年にレギーネ・オルセンとの婚約を一方的に破棄したことも、彼の人生に強い影響を与えている。この体験は、後々の作品を生み出す原動力となった。
さらに、1846年、風刺新聞『コルサル』により執拗な人身攻撃を受け、公衆から侮辱を嘲笑を受けた。この体験は彼の「単独者」としての自覚をさらに深め、同時に大衆化していく社会の無責任性を痛感させた。晩年には、デンマーク国教会の世俗主義を批判し、正統信仰の復興をめざして激しく協会攻撃に立ち上がったが、教会を攻撃した小冊子『瞬間』第10号の原稿を残して路上に倒れ、42歳で没した。
キルケゴールの哲学
キルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念としての人間ではなく、個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。自己こそ本当の人間であり、単独者である実存の重みを取り去ってくれる者は人間の中にはいないことも明らかになったのである。
また「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。
「単独者」として、「主体」として、「キリスト者」として生きようとした彼の思想は、20世紀の哲学者のハイデガーやヤスパース、その他神学や文学にまで影響を与えた。
【参考文献】『倫理学とはなにか』有福幸岳編,勁草書房,1989年 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB
キルケゴール http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_books/kierkegaard.pdf