キング牧師2
出典: Jinkawiki
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人物
1963.8.28にワシントン大行進において「私は夢を持つ」スピーチを行ったマーティン=ルーサー=キングは、1968にテネシー州メンフィスで暗殺され、39の生涯を終えるが、1986からは彼の誕生日が国民の祝日として制定実施されるに至った。彼が生涯目指したものは、物指向のアメリカ社会の構造と価値観を根底から覆して、人間志向の「愛の共同体」に再創造することであった。また、彼の抱いた夢は、単なるアメリカの夢ではなく、人類の夢でもあった。
経歴
1929 1月15日、マーティン・ルーサー・キング・シニア牧師とアルバータ・C・W・キングの長男としてジョージア州アトランタに生まれる。
1944 15歳 飛び級でモアハウス・カレッジに入学
1947 18歳 説教者の資格を取得、エベニーザー・バプティスト教会の父の助手となる。
1948 19歳 バプティスト教会牧師の資格を与えられる モアハウス・カレッジ卒業(社会学) ペンシルバニア州のクローザー神学校に入学
1951 22歳 クローザー神学校卒業(神学士) ボストン大学神学大学院へ進学
1953 24歳 コレッタ・スコットと結婚
1954 25歳 連邦最高裁、公立学校での人種差別を憲法違反と判決(ブラウン判決)
1955 26歳 12月1日 ローザ・パークス、座席を譲らず逮捕 12月5日 バス・ボイコット闘争始まる
1956 27歳 1月30日 キング宅に爆弾 3月12日 南部出身議員9名、連邦最高裁の判決に反対声明 6月27日 NAACP(全米黒人地位向上協会)の年次総会でゲスト・ス ピーカーとなる 8月10日 民主党全国大会の綱領委員会で講演 11月13日 連邦最高裁、アラバマ州およびモントゴメリー市条例の人種隔離を違憲とする連邦地方裁の 判決を支持 12月20日 アラバマ州、モントゴメリー州、およびバスの人種隔離禁止命令が届く
1957 28歳 1月27日 キング宅で不発弾
1958 30歳 アイゼンハワー大統領と対談 「自由の大いなる歩み」出版 ハーレムで黒人女性に刺され入院
1960 31歳 ノースカロライナ州でランチ・カウンターのシットイン運動始まる ケネディ大統領と人種問題で会談
1961 32歳 アラバマ州各地で暴力の反抗を受ける。ミシシッピ州で逮捕
1962 33歳 オルバニー闘争で有罪判決 オルバニーで逮捕、投獄
1963 34歳 「バーミングハム獄中からの手紙」を執筆 非暴力直接大衆行動のモデルとなったワシントン大行進で「私には夢がある」演説、約25万人が参加 「汝の敵を愛せよ」出版 フロリダ州セントオーガスティンの闘争で逮捕投獄 「黒人はなぜ待てないか」
オスロでノーベル平和賞を受賞
1967 38歳 初の黒人最高裁判事任命 初の黒人指導者と暴力停止を訴える 「黒人の進む道」出版
1968 39歳メンフィスのローレン・モテルで、バルコニーに出ているところを狙撃され、死亡
主な著書
「自由への大いなる歩み」1958.9.17
「バーミングハム獄中からの手紙」1963.4
「汝の敵を愛せよ」1963.9
「黒人はなぜ待てないのか」1964.6
「黒人の進む道」1967.7
「私には夢がある」演説
1963.8.28、25万人が参加したワシントン行進での演説。「私には夢がある」の歴史に残る名演説であり、18分ほどの長さであった。 「私には夢がある。その夢とは幼い4人の子供たちが肌の色ではなく人格の深さによって評価される国に住む時がくるだろうというものです。そしてアメリカが偉大であるならば、この夢は現実のものとならなければなりません・・・」といったもの。
参考文献
『白と黒のアメリカ ~キング牧師の闘争と夢の記録~』、小西慶太 著 吉岡忍 特別寄稿 『マーティン=L=キング』、福原寿 著
HN:buribariis