キング牧師3

出典: Jinkawiki

キング牧師として知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者であった。1963年に彼が行った「I have a dream」演説は、現在でも大変有名な演説である。また、1964年にノーベル平和賞を受賞した。彼は暗殺者の銃弾よって命を落としたが、彼の伝説は終わっておらず、平等のための闘争は人々の心に受け継がれている。


闘いの始まり

事件は、一見とても簡単なことから始まった。モントゴメリーのダウンタウンにあるデパートで働いていたローザ・パークスというアフリカ系アメリカ人の女性が、バスの中で白人乗客に座席を譲らなかった、という理由で逮捕されたことである。19世紀末から続いているアメリカ南部各州の人種隔離は、交通機関にも及んでいた。バスの中ではアフリカ系アメリカ人は後方に座るということになっていた。この事件が発端となり、キング牧師も一員であったNAACPという黒人の権利を訴えている組織が動き出した。彼らはただちにバス・ボイコットの準備を始めた。このボイコットにはたくさんの黒人が参加した。黒人たちはバスに乗らずに歩いて職場や学校、買い物に向かい、バス会社は大損害を被った。そしてついに人種差別を規定したアラバマ州の市内バスに関する法律が、憲法に違反するということが宣言されたのだった。


非暴力の苦闘

アラバマ州モントゴメリーでは、黒人差別撤廃に動き出したが、紛争が絶えなかった。キングやその他の指導者の家に爆弾が投げ込まれたり、市当局がバスを運休させたりするような過激な嫌がらせが行われた。また、キングは些細なことを口実として繰り返し逮捕、投獄された。しかし、キングは徹底して非暴力の立場をとった。「仕返しに暴力を使ったところで、問題は少しも解決しません。...白人の兄弟たちがなにをしようと、私たちは彼らを愛さなければいけない。私たちが彼らを愛していることを、彼らに知らせなければいけません。...汝の敵を愛せ、汝を呪うものを祝福せよ、汝を虐げる者のために祈れこれこそ、私たちの生きる道です。憎しみには愛を持って報いなければなりません。」キングはこう言ったという。キングの非暴力の考えは、インドのガンジーの考えに基づいているという。


キングの名演説

アメリカの各地で公民権運動が広がっていく中で、奴隷解放後100年が経った1963年にキングはワシントンのリンカーン記念堂でかの有名なスピーチを行った。集まった人々の数は、約25万人に達していたと言われる。ここで主な部分を紹介する。 「私には夢があるのです。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、昔の奴隷の息子たちと、昔の奴隷主の息子が、一緒に兄弟として同じテーブルに座ることができるような夢が。...私には夢があるのです。いつの日か私の幼い4人の子供たちが、皮膚の色によってではなく、どんな内容の人間かということによって評価される国に住むようになる夢が。」 この演説に魅力された大群衆は、「I have a dream」と繰り返し唱和した。このキングの演説は、アメリカ国内のみならず世界的に内容が高く評価され、ジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び20世紀のアメリカを代表する名演説と言われている。


参考文献 猿谷要(1994)「キング牧師とその時代」NHKブックス

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