クリスマス

出典: Jinkawiki

目次

概要

クリスマス(Christmas)とは、キリスト"Christ"のミサ"mass"の意味。キリストの誕生を祝う降誕祭とされている。しかし、紀元元年12月25日にイエス・キリストが生まれたという確証はない。それでも現在、クリスマスという祭りは世界の国々のうち約150ヵ国もの国で祝われているなど、世界で最も人気のある、人類共通ともいえる年中行事になっている。しかも、その150ヵ国の中には日本のようにキリスト教国ではない国々も含まれる。この日にプレゼントを交換するのは、キリストへの誕生日プレゼントであって、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(『マタイによる福音書』25章40節)という言葉に由来するという。 また、昔のヨーロッパの1日の長さは、現代の数え方と異なり、1日は前日の日没から始まった。つまりクリスマスの25日とは、現在でいう24日の日没から25日の日没までを指す。現在クリスマスが24日の夜(クリスマス・イブ)から25日にかけて行われるようになったのはそのためだと言われている。


日本のクリスマスの歴史

起源

今から約450年前、16世紀後半から日本ではポルトガルやスペインなどの南ヨーロッパの国々との交渉が始まり、貿易も活発に行われるようになった時代。最初にキリスト教を日本にもたらしたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが薩摩に着いたのは1549年のことである。キリスト教で初めてクリスマスを祝ったのが4世紀中頃ということなので、ザビエルが日本に滞在していた時もクリスマスを祝ったはずであるが、その記録は残っていない。日本で最初に表れたクリスマスの記録は、1552年12月25日のもので、ザビエルが日本に去った後、周防の山口町(山口県)でコスモ・デ・トルレス司祭のもとにクリスマスが行われた。これが、記録に残っている日本で最初のクリスマスだと言われている。当時クリスマスは、ポルトガル風に「ナタラ(ナタル)」と呼ばれていた。当時のクリスマスは、主に布教活動の一つとして、宣教師や日本人キリシタンによる創造主やイエス・キリストの生涯についての説教が行われていた。その後、村人達と共に食事をした。

また、ナタラと呼ばれたクリスマスも次第に盛大化してくる。1566年キリスト教が盛んだった島原半島の口ノ津という港町の教会では、少年と少女による合唱隊が歌い、正月用の門松が各家の前に飾られた。1563年、平戸の教会ではクリスマスにキリシタン同士による贈り物を交換する風習もあったという。さらには1568年、堺の近くで対陣していた織田信長と松永久秀両軍それぞれにいたキリシタンの武士が、堺の教会にいた宣教師ルイス・フロイスの呼び掛けによりクリスマスが行われた。町の近くで対立していた敵味方のキリシタン武士約70名が集まり、和気あいあいとクリスマスが行われた。この出来事は、クリスマス休戦と呼ばれている。

江戸時代

キリスト教が禁じられていた時代、ひそかに隠れて信仰を守り続けたキリシタン達がいた。彼らは「隠れキリシタン」と呼ばれ、クリスマスも質素に行われていた。当時の鎖国中、長崎港に入港を許可されていた出島のオランダ人達は、冬至の時期に「阿蘭陀冬至」という名目でクリスマスを祝っていた。

明治時代

次第にキリスト禁教も撤廃され、クリスマスも公然と祝える様になってきた。1860年には、日本へ派遣されたドイツ人、オイレンブルクによって日本で初めてクリスマスツリーが飾られるようになる。さらに、日清・日露戦争での日本の勝利によって明治政府は近代的制度を確立し、またキリスト教政策においても寛大な態度を示すようになっていった。

大正

クリスマス・プレゼントの風習も盛んになり、日本の各業者ではクリスマス商戦が激しくなってくる。意外にも、第一次世界大戦の混乱時代、日本がクリスマス用品生産国のナンバーワンになる。当時の子供用のクリスマス・プレゼントで一番人気があったのは、セルロイド製のキュウピーさんであった。このように、クリスマスが教会などから市民へとより大衆化されるようになってくる。

昭和

第二次世界大戦が近づくにつれ、国内は戦時体制がしかれ、他国の宗教への目が厳しくなってくる。クリスマスも自粛が強化され、デパートなどの派手な歳末大売出しや劇場などのクリスマスの催しは自粛するよう、警察による取締りが強まっていく。出版界も同様、日本におけるクリスマス関係の記事は1937年を最後に新聞にも掲載されなくなる。

そして戦争が終結し、1951年サンフランシスコでの調印式により日米安全保障条約が結ばれ、日本は占領体制から解放された。日本の経済も軍需景気によって好転し、日本人の欲望の対象は食から衣へと移行し始める。デパートのクリスマス商戦は過熱し、町はサンタクロースで溢れかえった。1953年からは東京のNHKテレビ放送も開始され、よりクリスマスの宣伝、普及効果へつながった。そして当時の「三種の神器」が出始める頃、クリスマスは次第にマイホーム指向へと移っていくようになる。雑誌やテレビなどのマスメディアでも「ご家庭で楽しいクリスマス」「みんなでファミリークリスマス」といった話題で促し、クリスマスの過ごし方が大きく変化していった。その後はバレンタインデーの発展と平行して、1970年代から女性雑誌などが、クリスマスのデートスポットとして教会を紹介し始めるなど、若者にとってのクリスマスが、ホーム・クリスマスではなく、友達同士やカップルで過ごす日としての意味合いを深めていくようになり、ほぼ現代と同じようなクリスマスが形成されるようになった。


参考文献・資料

『クリスマス どうやって日本に定着したか』(クラウス・スラハト、克美、タテノクラハト/角川書店)

日本クリスマス博物館 http://www.christmasmuseum.jp/

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