クリミア戦争
出典: Jinkawiki
クリミア戦争
概要
オスマン帝国の力が目に見えて弱体化していくと、近東におけるロシアの動きが活発になり、1815年のウィーン体制の成立以来続いてきた列強間の平和が、ついにくずれさることになった。1853年、ロシア軍と、オスマン帝国・フランス・イギリスから成る連合軍のあいだで、クリミア戦争が始まった。バルト海、ロシア南部、黒海のクリミア半島という広大な地域がその戦場となったのであるが、最大の舞台となったクリミア半島では、黒海におけるロシア軍の重要拠点だったセヴァストポリ要塞をめぐる攻防戦が繰り広げられた。
影響
クリミア戦争は幾つかの点で思いがけない影響をもたらすことになった。たとえばこの戦争でイギリス軍の兵士たちは、他のどの国の軍隊にも引けを取らない戦いぶりを見せたものの、それ以上に目立ったずさんな指揮系統や管理体制だった。この問題がイギリス国内で取り上げられたため、急進的な改革が行われるきっかけとなったのだ。
オーストリアの情勢変化
クリミア戦争が起こした国際情勢の変化のなかで、もっとも重大な意味を持ったのが神聖同盟の消滅である。戦争中にオーストリアはロシアに対して、ドナウ川周辺の公園を、占領しないよう警告をあたえた。ところが、オーストリア自身がそれらの国を占領したため、両国の間でバルカン半島をめぐる18世紀以来の攻防が再燃することになった。ロシアがオーストリアのためにハンガリー人の革命を鎮圧してからわずか5年後に、この二つの大国の友好関係に終止符がうたれることになったのである。その結果、以後オーストリアは、脅威に直面したときはには「保守主義の憲兵」であるロシアの援助なしに、危機に立ち向かわねばならなくなったのである。
参考文献
・「クリミア戦争」 オーランドー・ファイジズ 白水社
・「第二次世界大戦」 アントニー・ビーヴァー 白水社
HN・YOROP209