クー=クラックス=クラン/KKK
出典: Jinkawiki
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クー・クラックス・クラン
アメリカ合衆国に存在する、反黒人を主な主張とする秘密結社。主な活動は、南北戦争後の1860年代後半から70年代と、第一次世界大戦後の1920年代であった。いずれも黒人や黒人に理解を示す白人に対する集団的なテロを行い恐れられた。現在も南部の一部にはその組織は残っているという。
南北戦争後のKKK
南北戦争後の1860年代後半に、南部の黒人差別と共にKKKが組織され表立った活動を開始した。 「クー・クラックス・クラン」(KKK)は1865年にテネシー州のプラスキーで少数の旧南軍士官を中心に黒人抑圧を目的にして組織されたのが始まりである。その後、この組織たちまち南部各地に広がり、「大魔法王」を総帥に、州には「大竜」、郡には「大巨人」、地区には「片目の巨人」という不気味な名称の各級指導官を擁したピラミッド型の「見えない帝国」を打ち建てた。頭からすっぽり三角形の防止のついた覆面で顔をおおい、幽霊のようなガウンを全身にまとって、深夜、馬にまたがり町や野原を疾走する彼らの白い姿は、迷信的な里人を威圧するために考察された奇妙な装束で、その効果は大きかった。かれらは黒人の家を襲い、解放民局やユニオン・リーグの仕事を妨害し、黒人の投票を暴力的に阻止したばかりか、投票しようとする黒人や、彼らを支持した白人の命さえ平気で奪った。黒人が自己解放のために教育に力を注げば注ぐほど、学校や教師がクランの攻撃目標になった。かれらの暴挙は1870年ごろ、頂点に達した。
1920年代のKKK
最初のKKKは1870年と71年に制定されたクラン取締法で消滅した。1915年、シモンズ大佐というジョージア人が白人の優越と南部の理想主義を擁護する団体として復活させ、第一次世界大戦後の1920年代にシモンズは「魔術大王」と称して拡大させ、黒人やユダヤ人、非プロレスタントに対する陰惨な暴力行為をくり返し恐れられる存在となった。1924年には会員数450万人を超え、南部から西部にかけて大きな政治組織となったが、戦時の感情が後退する中でゆっくりと衰退していった。
※第二次世界大戦後の1960年代に、黒人公民権運動が活発になると、それに対する反動としてKKK団に似せた黒人に対する暴力的な差別と排除が始まった。その様子は映画『ミシシッピ・バーニング』に衝撃的に描かれている。
近年の動向
アメリカのメディアでは未だにKKKとして統一団体のように紹介されるが厳密に言えばKKKの全国組織は前述のように1927年の時点で崩壊している。現存するKKK系の団体に横のつながりはほとんどなく(組織によってはライバル意識すらある場合がある)、中央組織のようなものも存在しない。しかし一方で、徹底した地下組織化による中央組織・連絡協議会的組織の温存の疑いや、点在する表面上の小組織の細胞組織化(アルカーイダ系各種テロ組織やネオナチ各種団体を例にとれば分かる通り、一部組織の違法活動発覚で組織全体が芋づる式に検挙される危険性の回避に役立つ)工作の疑いも持たれ続けている。
現在アメリカでは、オハイオ州などでImperial Klans of America(通称IKA)が活発に活動を行っているとされている。
2006年2月20日付けのCNNニュース「Headline prime」の特集によると、IKAは現在若い世代に世代交代し(リーダーが20代)、KKKの主流として台頭していると言う。活動の活発化のバックグラウンドとして、ここ5年でアメリカのヘイトクライム予備軍の数は600から800へと急増しているということを挙げていた。それに伴い構成員の人数も2000年の3,000人から8,000人へと急増している。同じく人種差別を行う事からナチスを模倣するようになってきている(敬礼方法が左手を開いて前に出す等)。従来のKKKと異なる点は、破壊活動や暴力など違法行為を認めていない点である。IKAの本部はケンタッキー州にあるが、全米各地に支部を設けている。
2007年、ユダヤ人団体「名誉毀損防止同盟(ADL)」は、「KKKの活動が再び活発化しており、南部以外の州にも勢力を伸ばしつつある、ネオナチ・グループと手を結んでいる」と警告する報告書を公表した。KKKが移民問題や同性結婚、都市犯罪などを活用して、「驚くべき『復活』を経ている」と強調した。ただしADLという組織に関しては、1968年に起きたミシシッピー州のADL職員の自宅爆破未遂事件が、ADLがKKKリーダーを買収して実行させた狂言テロであったことが「ロサンゼルス・タイムズ」のスクープで暴露されるなど、多くの虚偽や違法行為に抵触してきた人種至上主義団体であることに注意する必要がある。
近年ではイギリスにおいても派生団体が誕生した。しかし、イギリスにおけるKKKは非常に小さな運動にしかなっておらず、イギリス社会への影響力は小さいとされる。
参考文献
・常松洋『1920年代のクー・クラックス・クラン』
・西幸保『ク・クラックス・クランについて』
・綾辺昌朋『第二次クー・クラックス・クランにみられる自警団主義の伝統』
H.N KK