グロティウス1
出典: Jinkawiki
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人物
「国際法の父」と称されるグロティウスは、戦争発生の防止、戦争中の悲惨さの軽減、そして戦争の連鎖の切断のための枠組みを作るという課題に正面から取り組んだ。その基本理念は、400年の年月を超えて、「戦争の世紀」である20世紀、さらに次の世紀において、我々が直面する戦争と平和を考察するにあたって、大きな指針となった。彼の生涯は、キリスト教の平和と再統合を目指したり、「学芸」のすべての分野で傑出した業績を残したりと、さまざまな活動を行った。
経歴
1583.4.10 デルフトに生まれる。
1594.8.3 レイデン大学学芸学部入学。スカリゲルの指導を受ける。
1597 レイデン大学での勉学を終え、デルフトにもどる。
1598.5.5 オルレアン大学より両法博士号授与。
1604 オランダ連合東インド会社からカタリナ号事件の弁護を申請される。
1607.11.12 ホラント-ゼーラント法院検察官に任命される。
1608.7.2 マリア・バン・レイヘルスベルフと結婚
1613.3.22 東インド地域との香辛料交易の自由をめぐるイギリスとに交渉のため、ロンドンへ。ロッテルダム市法律顧問になる。
1618.8.29 抗議書派と反講義書派との争いに関与した田茂に逮捕される。
1619.5.18 財産没収のうえ、終身禁固刑に処せられる。
1632.4.7 ホラント州議会の国外追放の布告のため、ハンブルクへ行く。
1635.3.2 駐仏スウェーデン大使としてパリへ赴任。
1645.8.5 クリスティーナに謁見し、駐仏大使辞任。スウェーデンからリューベックに行く途中で難破し、8.28、ロストックで病没。
主な著書
『サティリコン』1599.12
『追放されたアダム』1601
『受難のキリスト』1608.11
『自由海論』1609 (匿名で出版)
『バタビア共和国の古代について』1610
『ネーデルラント万機年代記』1612(出版は死後の1657)
『宗教的諸事項について最高権力の支配』1614(出版は死後の1647)
『真の信仰の証明』1623.3
『弁護』1623.3
『戦争と平和の法』1625.3
『反キリスト論』1640
『アメリカの諸民族の起源論』『教会の平和への道』1642
「国際法の父」グロティウス
グロティウスの考える法とは、完全に人間を排除して、唯一国家のみの間を規律する法、つまり近代国家法を肯定している。彼こそが、近代国家の基礎を築いた学者であり、その意味で彼を「国際法の父」と呼ぶことが出来るという説は、すでに18世紀から唱えられていた。その後、20世紀初頭までこの説は一般に受け入れられ、学会の中でも常識になり、世間にこの考えが広まったという。
参考文献
『グロティウス』、柳原正治 著
HN:burubariis