グーテンベルク4

出典: Jinkawiki

 ドイツの活版印刷術発明者。マインツ生まれの金細工人で、1440年頃から印刷を研究、1450年頃鉛、スズ、アンチモン、少量のビスマスの合金の鋳造活字による印刷術を完成。そのころ、J.フストの出資で印刷所をはじめ、「四十二行聖書」を刊行した。事業は破産したが、その後も印刷術の改良につくした。


目次

誕生

 フリーレ=ゲンスフライシュとその妻エルゼとの間に、西暦1400年頃に誕生した。
ヨハネス・グーテンベルクの先祖は、その4分の3が年貴族であった。つまりその先祖は、代々マインツでおおむね織物などの取引に従事していた遠隔地商人で、金持ちの都市貴族であった。グーテンベルクの父方の祖父および祖母、ならびに母方の祖母は、いずれもマインツの都市貴族で会ったが、母方の祖父だけは意思を扱う小売商人で、マインツの小売商人のギルト(ドイツ語でツンフト)に属していた。つまり、グーテンベルクの体の中には、4分の1だけ都市貴族とは違う血が流れていたわけである。そして当時はこうした社会階層の違いは、極めて大きな意味を持っていたのである。都市貴族とツンフトの間には、大きな社会的軋轢と激しい階級間の闘争がくりひろげられていたからである。こうしたことがグーテンベルクの性格や行動に暗い影を投げかけていて、通常の都市貴族がたどる経歴とは特殊な人生を歩ませたものと思われる。


姓名

 今日まで残っている記録文書では、その呼び方はいくつか記されている。まず、ファーストネームは普通はヨハネスであるが、場合によってはヨハーンあるいはマインツでのその縮小形ヘンネ、ヘンギン、ヘーンヒェンとも書かれている。そして姓のほうは、父親の姓をとってゲンスフライシュ=ツア=ラーデンが正式な呼び方のようであるが、父親の死後、終身年金を受ける頃から屋敷の名前をとってグーテンベルクと呼ばれるようになっていったようである。


幼少年時代

 グーテンベルクは父の2度目の結婚で生まれた末っ子であったため、その誕生の時には父親はすでに50歳くらいであった。ところが母親のほうははるかに若く、グーテンベルクはこの母親の影響を強く受けて育ったとみられる。父親は貿易商人として、読み、書き、計算の重要性を知っていた。いっぽう母親も、小売商の娘としてその能力をもっていて、グーテンベルクは家でこれらを習得したものと思われる。ゲンスフライシュ家は代々マインツの修道院とは良好な関係にあった。一族の多くの者は教会や修道院に多額の寄付金を出していたし、司祭や教会参事会員になるものも少なくなかった。その見返りとして教会や修道院は、都市貴族の特権を支持していた。当時のマインツにはそうした修道院の付属学校がいくつか存在していたが、グーテンベルクはその中の聖ヴィクトーア修道会付属学校に通っていた形跡がある。
 ところが、グーテンベルクはその少年時代、町の政治をめぐるツンフトとの争いが原因となって、都市貴族であった父親に連れられ、マインツを何度か離れざるを得なかったことと思われる。

 グーテンベルクがエアフルト大学(当時プラーハ、ウィーン、ハイデルベルク、ケルンにつぐドイツ語圏で5番目の大学)で学んだことを記す直接の文書は存在しないが、例によってアルベルト=カプルは傍証によってその可能性が強かったことを論証している。
 このエアフルト大学においてグーテンベルクはラテン語に磨きをかけたものと思われる。後に自分の発明した印刷術によって、彼は聖書その他の書物を印刷したわけであるが、それらの書物は主としてラテン語で書かれていたのだった。これらの書籍作りの総監督でもあったグーテンベルクにとってはラテン語に対する十分な知識が必要不可欠であったわけで、ラテン語の知識がかけていたとは考えられないのである。


活版印刷術発明の時期

 まず、何を持って発明の時期とするのかという難しい問題がある。グーテンベルクは活版印刷術の完成を目指して、長期にわたって努力を重ねていたわけであるが、彼はすでに1436年には印刷の仕事に携わっていたことがわかる。それがどの程度のものであったのかはわからないが、その後試行錯誤を重ねて、1439年12月ないしはその少し後に、最初の印刷物を世に出していたものと推測されている。

 後世の人は書籍印刷術の発明に対して実にさまざまなことを記しているが、「ケルン市編年史」は、「書籍印刷術はシュトラースブルク出身のヨハネス=グーテンベルクによって1440年マインツによって行われ、1450年までには完成していた」ことを伝えている。また、メテオ=パルミエロという人物はすでに1483年に、「書籍印刷術は1440年にヨハネス=グーテンベルク=ツム=ユンゲンによってマインツで発明された」と主張している。


四十二行聖書

 グーテンベルクの「四十二行聖書」に、いくらの値段がつけられたのかはわかっていない。ニューヨーク・ホウ図書館蔵の紙刷本「四十二行聖書」には、100グルデンという値段の記載がある。「四十二行聖書」が非常に高価なものだったことが察せられる。
 「四十二行聖書」は、世界に45部の現存が確認されている。中ゴシック体、2段組み、各段42行のラテン語聖書「四十二行聖書」は、世界でもっとも早く活版印刷されたものが、いまなお印刷技術の最高の作品であるという秘蹟である。その美と調和には、今日までの500年間、誰も到達していない。


謎の多いグーテンベルク

 グーテンベルクについてはわかっていないことが多い。グーテンベルクについて書かれた本を見ても、推測により書かれているところが多かった。その生涯や性格は、はっきりとしていないが、彼が発明した活版印刷がとても優れていて、現在の書籍作りにも大きな影響を与えていることは明らかだ。また、彼が努力家だったこともうかがえる。すばらしい発明の裏にあった彼の努力を賞賛したい。


参考

S.H.スタインバーグ  西洋印刷文化史‐グーテンベルクから500年  日本図書館協会 1985
大輪盛登  グーテンベルクの鬚  筑摩書房 1988
戸叶勝也  グーテンベルク  清水書院 1997


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