ケルン大聖堂
出典: Jinkawiki
ドイツ西部、ケルンのライン河畔に立つ西欧最大のゴシック様式の大聖堂。 ゴシック様式の特色である尖塔は2つ、尖頭アーチと大きな窓にはめ込まれたステンドグラスにより柔らかな彩色光が室内に注ぐ。
ケルンに最初の木造大聖堂が建立されたのは9世紀。1164年にイタリアのミラノから貴重な聖遺物・東方三博士(三賢王)の遺骨贈られ、その大聖堂に納められた。その遺骨を納めるための聖櫃の製作が金細工師のニコラス・フォン・フェルドゥンの指揮のもとに行われ、1225年頃に完成した。
やがて東方三博士の礼拝のため、ヨーロッパ各地から巡礼者が訪れるようになった。
1248年、大司教の聖堂および巡礼教会としてふさわしい大聖堂として、アミアンの大聖堂を手本にゴシック様式の、それも他に類をみない程の規模を誇る大聖堂の建立が始まった。
1320年に内陣のみが完成したが、以後はケルン商人の没落とともに資金難に陥りしばしば工事が中断し、1559年までに聖歌隊席・袖廊・長堂・未完成の南塔が出来上がっていたが、以後は完全に中断した。1814年、長い間失われていた設計原図が発見された。戦勝後のドイツ精神の鼓舞とドイツ文化復権の風潮に支えられ、1842年に盛期ゴシック様式の忠実な再現を目ざして工事が再開された。1880年10月15日、遥か上空に聳える南塔の頂華(チョウゲ)に完了石が置かれた。着工から実に632年目。かつて神聖ローマ帝国の名のもとにドイツがヨーロッパに君臨した中世に、ドイツ人が構想した大聖堂は、三十年戦争以来200年以上にわたって小国分裂状態の辛酸を経てきた後、1871年に成立した統一国家ドイツ帝国とドイツ・ナショナリズムの記念碑となった。
天への憧れを感じさせる大聖堂の双塔は高さ156m、当時では世界一高い建造物であった。内陣の回廊にはシュテファン・ロッホナーの有名な大聖堂の絵とローマのゲロの十字架像がある。1966年、世界文化遺産に登録。2004年、周辺の高層建築の建設による景観の破壊が危惧され、危機遺産リストに登録されたが、2006年に解除された。
参考
・http://allabout.co.jp/gm/gc/325135/4/
・http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2935/whkoelndom.htm
・『世界遺産検定公式基礎ガイド 2009』