ゲットー化

出典: Jinkawiki

概要

一つの都市内にあってユダヤ人を強制的に収容した居住区域である。16世紀以降ユダヤ教徒をキリスト教徒から隔離するゲットーが,フランクフルトアムマインなどにできた。周囲は壁で取巻かれ,門は夜間閉じられた。この中でユダヤ人はある程度自治権を得たが,人口の増加に伴う建物の立体的高密度化により不健康なスラムとなった。 19世紀末までにはほとんど消滅したが,東ヨーロッパでは 20世紀まで存続した。第2次世界大戦中ナチスがワルシャワなどにつくったゲットーはユダヤ人絶滅を画した強制収容所。なお,アメリカにおける黒人居住区 (ハーレム) を黒人ゲットーなどと呼んだこともある。

歴史

歴代のアレクサンドリアやローマなどにはすでにユダヤ教徒の巨大居住区が存在していた。中世ヨーロッパ前期やイスラム圏でもユダヤ教徒居住区は存在した。しかしこれらは強制されてできたものではなく、ユダヤ人が自らの意思で集まって出来た居住区であった。何か制限が課せられるといったことも無かった。

しかし、1096年の第1回十字軍遠征以降、ヨーロッパでは十字軍遠征のたびにユダヤ人は迫害を受け、また社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていった。13世紀後半以降、まずドイツでユダヤ人の強制隔離が実施されるようになった。こうしてできたユダヤ人の強制隔離居住区は、周囲が壁で囲まれ、出入りが制限され、また黄色の印などユダヤ人であることを示すマークを付けさせられるなどの様々な制限が課せられていた。

14世紀のペスト大流行でペストを持ち込んだとされたユダヤ人への迫害が強まり、ヨーロッパ中でユダヤ人の隔離政策が取られるようになっていき、ユダヤ人隔離居住区は教会から離れた場所に設けられることが一般化した。この頃にできたユダヤ人隔離居住区としてはフランクフルト・アム・マインのユーデンガッセやプラハのヨゼフォフが特に有名である。もっともこれらは創設当時ゲットーとは呼ばれていなかった。

参考

コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC-59701 大沢 武男(著)「ユダヤ人 ゲットー」(1996) 講談社現代新書


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