サイクス・ピコ協定
出典: Jinkawiki
第一次世界大戦中の1916年5月、イギリス、フランス、ロシア間で、戦後のオスマン・トルコ帝国領の分割を約束した秘密協定。ロシアの首都ペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)で調印された。協定の名称は、主として作成にあたったイギリスの外交官マーク・サイクスとフランスの外交官ジョルジュ・ピコの名からつけられた。
協定によると、レバノンを含むシリア、イラク北部、アナトリア南東部はフランスの、イラク中南部、ヨルダンはイギリスの、それぞれ統治地域および勢力圏とし、ロシアはグルジア、アルメニアに接するトルコ領の一部を獲得する。またエルサレムを含むパレスチナは国際管理下に置く、となっていた。この協定は、前年のフサイン‐マクマホン協定および翌年のバルフォア宣言とまったく矛盾するものであり、第一次大戦中に示したイギリスの二重外交、および帝国主義時代の大国間の権力政治の典型を示すものであった。
また、1917年にロシア革命が起こると、同年11月に革命政府によって旧ロシア帝国のサイクス・ピコ協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの反発を強めることになった。
サイクス・ピコ協定や以後の分割交渉による線引きは、後のこの地域の国境にも影響している。
参考URL ・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A ・http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E2%80%90%E3%83%94%E3%82%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A/