サッコ・ヴァンゼッティ事件
出典: Jinkawiki
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事件内容
1920年代のアメリカ合衆国で、移民問題が深刻になったことを示す事件であった。まず、1919年に一件目の強盗事件が起き、製靴工場の現金輸送車が襲撃されたが失敗に終わった。しかし、1920年の4月15日にマサチューセッツ州にあるボストンの南方のサウス・ブレイントリーで2件目の強盗事件がおこり、現金輸送中の金庫が襲撃され約1万6千ドルが奪われたのである。その際に会計主任のフレデリック・バーメンターと警備員のアレッサンドロ・ベラルデッリの製靴会社の従業員2名が射殺されたのである。その時強盗殺人事件として警察は容疑者を2人逮捕したのである。その2人というのが製靴工場の職人ニコラ・サッコと魚の行商人バルトロメオ・ヴァンゼッティである。2人は共に1908年にイタリアから移住してきた、いわゆる移民で、第一次世界大戦への徴兵忌避、ストライキ指導などを行っていたために、"赤狩り"のターゲットになっていた。
事件後
その後マサチューセッツ州ボストン郊外のデッダム裁判所で裁判が行われ、裁判所判事であったウェブスター・セイヤーは、二人が恐るべき「赤」であり、しかも法秩序の破壊を主張するアナーキストであることから、それだけで罰せられるに値するという予断で裁判を進行させ有罪を判決した。2人は証拠不十分のまま、無実を主張するもむなしく、裁判で死刑判決を受けた。 この裁判の後からアメリカだけではなく欧州など世界各地から抗議の声が上がり1927年までに再審運動が展開された。結果として州知事は請願を受け入れ特別委員会を設置して再調査を行った。しかし、判決が変わることはなく1927年の8月23日にサッコとヴァンゼッティは電気椅子で処刑された。
事件から50年後
それから50年たった1977年に、当時の裁判は公正ではなく偏見も含まれていたとして、その裁判の判決は誤審であり、2人は無罪であったとマサチューセッツ州知事は正式に認めたのである。以上のことからアメリカで最も有名な冤罪事件となったのである。
参考・引用文献
世界史の窓 http://www.y-history.net/appendix/wh1502-146.html
世界史の目 http://www.kobemantoman.jp/sub/28.htm
HN.kk