サラダボウル

出典: Jinkawiki

目次

サラダボウルとは

多文化主義の考え方のこと。国家の在り方が変化していく様子をるつぼからサラダボウルへとたとえられている。またすべて混ざりあうようすをたとえたメルティングポット論から次の政策としてもとらえられている。フランス革命をきっかけとして成立した国民国家のあり方は、民族自決という考え方を前提としていた。自民族の個々の自由や平等を保障するために、代表がとり決めるという方法をとり国全体の意見としてきた。しかしこのような方法を取り入れると、主となる意見以外は軽視されてしまう。この頃は意見や考え方だけでなく、人種なども抑圧や差別する流れにあった。なぜならば民族という概念そのものがその構成メンバーの主観によることが多いため、民族の一体性を確保するためにはどうしても国民国家内部における言語や文化を統合していかざるを得ない。つまり意見を統一させるために、言語や文化を奪い統一化することを狙った。こうした単一文化主義から脱却するための方策の1つとして考えられたのが多文化主義、つまりサラダボウルである。


世界での取り組み

1970年代にカナダ、オーストラリアで政策に取り入れられ始め、その後、イギリスやスウェーデン、フランス、アメリカなどでも程度の差はあるものの、多文化主義の考え方が導入されるようになった。 しかしその後オランダやベルギーが多文化主義的な政策から単一文化主義的な政策に回帰し、ドイツ、イギリスでも同様の議論が起きている。一方、カナダでは、1986年に雇用均等法、1988年に多文化主義法 (Official Multiculturalism Act) を制定するなど、現在まで国の基本方針として維持されている。


多文化主義の政策

教育、テレビ、放送、図書館などは多言語での提供が公的に支持される。たとえばイギリスの場合、学校の給食に少数民族向けの食材が用意され、ターバンやスカーフといった民族独自の服飾が認められるなどの措置がとられる。また、より積極的な多文化主義政策といえるアメリカにおけるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正策)では、大学入学時や職員採用時に少数民族出身者に対して人口比による優先的配慮を行うなどしてきた。具体的な例として、以前は白・黒分離社会やバス通学問題などがあった。黒人と白人が混在して住宅がありそれぞれのための学校があるというものではなく、黒人地域には黒人学校があり白人地域には白人学校があるのだ。それはsqual and separateと呼ばれ、実際は人種によって生活領域や行動範囲が制限されていた。しかし多文化主義の考えかたが広まるにつれて、民族の人口比によって合格比などを決定する働きが出てきた。しかしこの方法ものちに問題が生じてしまうこととなる。 また多文化主義はすべての文化の価値を等しく認めるものではない。人権を無視、抑圧する文化を認めていないまた国家の統合を否定する民族独立運動を承認するものでもない。多文化主義とは国家の統合の枠を前提としており、そのなかでの人権を伸長しようとするものであり、その限りにおいて民族集団の多様な価値と文化を推進するものである。


参考文献

『アメリカの民族 るつぼからサラダボウルへ』 綾部恒雄編 弘文堂1992

『エスニックアメリカ 民族のサラダボウル 文化多元主義の国から』 越智道雄著 明石書店1995

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9

文教大学国際教育論9月24日の授業内容


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