サルマン・ラシュディ
出典: Jinkawiki
1947年インドのボンベイの裕福なムスリムの家庭に生まれる。ウルドゥー語と英語のバイリンガルとして育ち、一四歳の時イギリスのパブリックスクールに入学。いったん移住地のパキスタンに戻るが、やがて再度イギリスに渡り、大学では歴史を専攻。卒業後、俳優、コピーライターなどの仕事に就きながら、幼い頃からの夢であった小説を書き始める。その間にイギリス人女性と結婚し、イギリスに帰化。 1981年にインド現代史を背景にした雄渾な物語『真夜中の子供たち』を発表、ブッカー賞を受賞し一躍世界的な評価を得た。 1988年に発表した『悪魔の詩』はコーランやモハメットを冒涜しているとしてイスラム社会の一部から憤激をかい、同書の発行を禁止し、当時のイラン最高指導者であったホメイニ師によって死刑が宣告される。
ホメイニ師が死刑宣告した根拠には、ボンベイ生まれの作家が「イスラムを棄教」し、イスラム教世界を冒涜した宗教上の罪があるとされた。西側世界は、「表現の自由の侵害」であるとしたが、論理はすれ違っている。近代国家は、国家単位で法を持つ。宗教は、国家や法を超越する。他国の法に外国が干渉することができないように、ある宗教の主張するところを、他の宗教で裁くことはできない。そしてイギリスとイラン国交断絶に至るまでの国際問題にまで発展する。西洋各国では、皮肉にもこの事件によって同書の売り上げが急激に伸びる結果となった。1990年9月、イギリスとイランの国交が再開される。
一方日本では、早川書房が同書の翻訳を出版する予定をしていたのだが、ホメイニ師の死刑宣告直後に出版がキャンセルされてしまった。1991年7月12日、この「死刑宣告」の影響は、意外な方向へと展開した。後に新泉社から出版された『悪魔の詩』の翻訳者で筑波大学助教授の五十嵐一氏が、学内で何者かによって殺害される。鋭利な刃物を使って刺殺した犯人は、シーア派のイスラム教徒だという見方が有力である。2006年7月11日、15年が経ち、公訴時効成立。
『悪魔の詩』のタイトルは、イスラム教の聖典「コーラン」を指すとされている。この小説には、マホメットの12人の妻を連想させる12人の売春婦、「マハウンド」というイスラム教の軽蔑の対象であるイヌを連想させる名前の預言者などが登場するなど、イスラム教を揶揄する表現がちりばめられている。
この『悪魔の詩』によって世界中を巻き込むこととなった。習慣、宗教、法律、文化も様々である国々で、表現の自由がどの範囲まで許されるのかはとても曖昧だ。宗教が人から国、世界を動かしてしまう影響力は絶大である。全てとはいわないが、できる限りお互いの文化や宗教を尊重し理解し合うことができたら、国家間の宗教問題が少しでも減るのではないだろうか。
参考HP
http://www.jca.apc.org/gendai/kikan/ekkyo/syokai/jaguar.html
http://home.att.ne.jp/grape/mezaki/Tamashii23.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/syousetu.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3120/sub3html/magajinn/isuramu1009.html