シェンゲン協定
出典: Jinkawiki
概要
当時、欧州経済共同体に加盟していた、10の加盟国のうちベルギー、フランス、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツの5か国が1985年6月14日にルクセンブルクのシェンゲン付近を流れるモーゼル川に投錨していたプランセス・マリー=アストリ号において署名した文書である。またその5年後に署名されたシェンゲン協定施行協定はシェンゲン協定を補足する内容であり、協定参加国の間での国境検査を撤廃することを規定していた。シェンゲン協定という用語は、この2つの文書を総称するものとしても用いられる。 1997年に署名されたアムステルダム条約ではこれら2つのシェンゲン協定を欧州連合の法として取り入れた。シェンゲン協定によって国境検査が撤廃された区域は2008年12月以降で25のヨーロッパの国に広がっており、その人口は4億人超、面積は 4,312,009 平方キロメートルとなっている。欧州連合加盟国のうち、島国アイルランドと英国はシェンゲン協定の国境検査撤廃の適用対象から除外されているが、その一方でこの両国は司法・刑事面での協力に関する規定には参加している。またノルウェー領のスヴァールバル諸島はスヴァールバル条約によって締約国国民を平等に扱うことから対象地域から除外されている。
シェンゲン協定崩壊の危機
シリア難民の大量流入により、シェンゲン協定を見直す動きが起きている。現状では難民が「最初に到着した国」が難民認定申請に責任を負うことになっているが、それでは地中海に面したギリシャやイタリアの負担が大きくなる。そのため、EUの実務を担う欧州委員会は、加盟各国の経済規模に応じた難民保護の分担を提案している。しかし、国内で高まる外国人排斥の声に押され、とりわけ2000年代になるにつれて、EUに加盟した中・東欧諸国では、これを拒む国が続出した。特に難民の移動ルートにあたり、与党が反移民を掲げるハンガリーは国境を封鎖する強攻策に出た。このような策を行ったハンガリーへの批判はEU内部でも高まっているが、ヒトの移動の制限はEUの中核を占める西欧諸国にも広がっていっている。今年1月末までに、ドイツ、フランス、デンマーク、スウェーデンなどが、6か月の期限付きで入国審査を再導入した。シェンゲン協定第26条では、「例外的な状況」において協定加盟国には最長2年間、国境での入国審査を再導入することが認められており、これら各国の対応は、この条項に沿ったものである。しかし、これによってヒトの自由移動というシェンゲン協定やEUの理念が後退したことは確かである。
参考
ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A 安江則子(編)(著)「EUとフランス:統合欧州の中で揺れる三色旗」(2012)法律文化社