シネマトグラフ

出典: Jinkawiki

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シネマトグラフ

1895年にリュミエール兄弟によって発明された世界初の撮影と映写の機能を同時に持つ映写機。「1895年12月28日、リュミエール兄弟によって発明された<シネマトグラフ>により、動く写真、ここに初公開さる。」の宣伝とともに世に広まり、人々はこれを最も新しい視覚的コミュニケーションの方法としてみるようになった。世界に映画というものが誕生したきっかけの機械。


写真から映画へ 

動かないものが動いて見える、視覚の生理的な残像と、それを利用して動きの錯覚を作り出す方法は、古くから知られていた。十九世紀になると、動く映像の基礎となるものが次々と誕生する。  最初に生まれたものが、丸いボール紙の裏と表に描いた絵を廻して同時に見る<ソーマトロープ>である。<ソーマトロープ>の発明者は一般的に、ジョン・イートン・パリスと言われている。この発明は、天文学者のジョン・ハーシェルと地質学者のウィリアム・フィトンのアイデアに基づいていると言われているが、中にはフィトンやチャールズ・バベッジが発明者だとする文献も存在する。細い溝のついた歯車状円盤を回転させ、動く絵を固定させる<ファラデーの輪>もこの時期に発明された。これらが大陸に渡ると、また新しい発明が生まれることになる。  最初にジョセフ・プラトーとシモン・スタンファがほぼ同時に発明した<フェナキスティスコープ>について説明したい。<フェナキスティスコープ>は軸に垂直に取り付けられた回転する円盤であり、これにはアニメーションのコマに相当する絵が順に描かれていて、コマとコマの間にスリットがある。この円盤を回転させ、絵を鏡に映し、動くスリットから透かして見る。残像現象を利用し、スリットを通すことでブレがなくなり、絵が動いて見えるという機械である。  次にリッター・フォン・シュタンプフェルが発明した<ストロボスコープ>について説明したい。<ストロボスコープ>は、物体の移動や変化を可視化するための装置で、設定した一定の間隔で連続して発光するストロボ(フラッシュ)のことである。これを十分に暗い環境で使用すると、対象物の移動や変化がコマ送りのように見えるというものである。これらがイギリスに逆輸入され、ジョージ・ホーナーが発明した<ゾートロープ>に発展した。  <ゾートロープ>は側面に縦のスリットが入った円筒形をしている。スリットとスリットに挟まれるように、内側の面に個々の静止画が描かれており、連続写真のように並んでいる。この円筒を回転させ、スリットから反対側の内側を浮かして見る。スリットを通すことで、絵がぶれないようにし、映画と同様の原理で絵が次々と入れ替わることで動いているように見せることが出来るようになったのである。<フェナキスティスコープ><ストロボスコープ>は、円盤を回転させつつ鏡に映る絵を、スリットを通して見ていたが、<ゾートロープ>は鏡によらず、水平に回る円筒内部に絵のオビを装備したものなので、動く絵の古典的装置となった。こうして写真を動かすものにするために、たくさんの発明が生まれたのである。


フィルムの誕生

フィルムの誕生において中心にいた人物が、イーストマンである。イーストマンは1881年にフィルム製造会社を設立し、84年から紙製ロールフィルムを大々的に売り出した。88年にロールフィルム用小型カメラ「コダック」を発表し、世界中に広がった。そして翌年、セルロイド製ロールフィルムが生まれた。これは紙にゼラチン乳剤を塗ったロールフィルムである。シャッターを切るごとに一枚ずつ重い種板を取り換える必要がなく、ロールフィルムは小さく巻き込み、連続撮影が可能である。その撮影済みフィルムはイーストマンの工場に送ると、現像されるということで、この見事な機能性、映像生産のシステム化が映画誕生の基礎となったのである。


エジソンの発明

あの「発明王」の異名で有名なエジソンも映画誕生に関係していた。エジソンが最初に動く映像に興味を持ったのは、1888年と言われている。89年に、パリ万国博に<フォノグラフ>(シリンダー式蓄音機)を出品した際、同じく出品されていたマレイの<クロノフォトグラフ>(カメラに装填された一枚のガラス乾板に連続した複数の映像を重ね合わせるようにして記録する装置)から重要なヒントを得た。イーストマンのセルロイド製ロールフィルムも同時期にうまれていたため、この二つの要素からエジソンの研究は支障なく進み、パーフォレーションをフィルムにあけ、一コマずつ送るメカニズムを組み立てた。これにより、動きの分解撮影はほとんど完璧になり、エジソンは撮影機<キネトグラフ>の名で特許申請した。  エジソンは<キネトグラフ>と同時に、映写機<キネトスコープ>を製作したが、これはまだ厳密な意味で映写機ではなかった。大きな箱にフィルムを装備し、覗き窓からフィルムそのものを拡大鏡で直接見るもので、一台で観客一人しか見られないからである。


映画の誕生

<キネトスコープ>の映像を、どのようにしてスクリーンに拡大投射し、大勢の人々に見せることが出来るかが問題だった。しかし、映像の拡大投射は、1644年にアタナシウス・キルヘルが幻燈機を組み立てて以来、東洋から伝わった影絵芝居と交流しつつ、庶民的な光と影のスペクタクルとして、すでに一般化していた。また幻燈と<ゾートロープ>を結びつけ、動く絵をスクリーンに映し出す研究も1878年にはほとんど完成の域に達していた。この問題をめぐって登場したのがリュミエール一家である。この一家が動く写真の研究を始めたのは1894年秋からで、95年冬には一号機が完成し、<シネマトグラフ>と名付けられた。これは撮影と映写、両方の機能をもつ機械である。彼らは、それを使い撮影し、作品数を増やし、大衆相手の興行を考えた。その時宣伝されたのが次の文である。「1895年12月28日、リュミエール兄弟によって発明された<シネマトグラフ>により、動く写真、ここに初公開さる。」興行は成功し、<シネマトグラフ>の映像を、人々は最も新しい視覚的コミュニケーションの方法としてみるようになった。こうして世界に映画というものが誕生した。


参考文献

「映画の世界史」岡田 晋著 美術出版社

'M.S'


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