シモ・ヘイへ
出典: Jinkawiki
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シモ・ヘイへ
シモ・ヘイへは、フィンランドの軍人で狙撃手である。
ヘイへは、ロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営み、1925年に軍に入隊する。冬戦争中、平易金気温がマイナス20℃からマイナス40℃の酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士から白い死神と呼ばれ、恐れられていた。冬戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が4000名のソビエト連邦軍を迎撃して、拠点防衛に成功し、この丘陵地は「殺戮の丘」と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。冬戦争中、ヘイへはほとんど無傷の状態で戦っていたが、終戦直前にあごを撃ち抜かれる重傷を負うが、友軍に救出されて一命を取り留めた。終戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く、猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごした。そして、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳で生涯を閉じた。
戦争中の活躍
狙撃に使った武器はモシン・ナガンM28を使っていた。ヘイヘは身長約152センチと小柄ながら、120センチ以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われ、後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガンを与えられた。モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイへはスコープを付けず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。狙撃訓練課程では150メートルの距離から1分間に16発の射的に成功したという逸話が残され、実戦でも300メートル以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に505名か542名と言われ、いずれにしても世界記録となっている。
またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、KP31サブマシンガンを用いて、記録では200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。
追記
また、80年代終わりか90年代の初めの頃にシモ・ヘイヘは日本のテレビ局の終戦特集か何かで取材を受けており、150mの距離から16発の射的に成功したという逸話を実際にやって見せた。 当時、70歳を超えていた筈だが、博物館から借りてきた彼のライフルでまったく衰えを見せない射撃技能を披露していた。モシン・ナガンを構え、発射後、まったく射撃姿勢を崩さずにボルトを操作し、2射・3射と射撃を続け、ターゲットも必中だった。ボルトアクションを操作した事がある方なら1分間に16発必中がいかに困難か解ると思う。
参考文献
・世界伝説コレクション (著)山口智司
・ようこそ http://my.reset.jp/~homare/suna8.html
(BAY)