シリア内戦

出典: Jinkawiki

目次

シリア内戦

シリア内戦とは2011年頃から今もなお続いているシリア国内でのアサド政権と反体制派による武装衝突及び反政府運動のことである。しかし、実際には反体制派の背後に国外のトルコやサウジアラビアなどがつき軍事支援などを行っていたり、またアメリカをはじめとした多国籍軍がシリア国内のISIL掃討のため内戦に介入しており国内は混乱を極めている。

内戦の発端と構図

この内戦の発端は2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によるものだ。当初の構図としてはアサド政権派のシリア軍とその打倒を望む反政権派勢力の民兵という構図であったが、アサド家がシーア派の分派でキリスト教の影響が強いアラウィー派であることで単なる政治目的の運動ではなくなり、宗教をも背景として構図が拡大していった。反政権派勢力の大部分にスンニ派イスラム主義勢力がみられ、アサド政権側にはシーア派民兵がついており、政権を支持する母体にはイスラム色の薄いスンニ派を含めた世俗派が主体となり、逆に反政権側には反アサド派、反アラウィ―派、反シーア派、反キリスト教のスンニ派のイスラム主義組織がついた。さらには、この宗教問題を孕んだ構図が国内だけにとどまらず周辺諸国、先進国まで内戦に巻き込んでいくことになる。アサド政権側にはレバノンのシーア派イスラム主義であるヒズボラ、イランのイスラム革命防衛隊がつくことになり、反対に反政権側ではアサド政権打倒のためにトルコ、サウジアラビア、カタールが反政権側の民兵に資金援助や、武器付与の軍事支援などをし始める形となった。一方シリア北部ではクルド人勢力とペルシュメルガ対ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線や過激派組織ISILという争いも起きていた。これに対しサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国が親欧米、親NATO諸国であることで、アメリカ、フランスを中心とした多国籍軍によるアサド政権側、過激派組織ISILへの空爆が開始された。またロシアやイランもシリア国内への空爆を開始した。このように内戦の構図は地政学的事情、宗教を背景に芋ずる式で世界各国を巻き込んでいった。

内戦の経過

2011年1月26日にハサン・アリ・アクレーが自らの身体にガソリンを被り火を放った。この行動は「シリア政府に対する抗議」であったとされる。2日後の1月28日、ラッカにおいてクルド人の血を引く二名の戦士が殺されたことに対して抗議するデモが行われた。 3月18日、シリアにおいて金曜日礼拝のあと、オンラインで「尊厳の金曜日」が呼びかけられ、政府汚職疑惑の解決を求めた数千人の抗議者がシリア各地の街路に繰り出した。地方治安部隊の指揮のもと、抗議者たちに対する暴力的な取り締まりが行われた。 3月20日、数千人がダルアーの街路に繰り出し、三日間にわたって非常事態法に反対するスローガンを叫び続けた。治安部隊の発砲により、1名が殺害され、多数の人々が負傷した。その数日後、ダルアーの携帯電話回線は切断され、市内のいたるところに検問所が設置され、兵士が配置された。その後の各地の抗議でも治安部隊による暴力的な取り締まりが相次ぎ死者が数十名規模で出た。 4月に入りアル=アサドが政治犯の釈放を認めるなど一時的な譲歩が見られたがデモへの鎮圧による死者は絶えなかった。 4月25日シリア政府は近くのヨルダンとの国境を封鎖した。 5月1日、バニヤースは抗議者たちが掌握する南部と、治安部隊によって政府の支配下に置かれる北部とに分裂した状態になった。 6月16日には潘基文国連事務総長もアサドに対して国民に対する弾圧の停止を要求、対話を求めた。 9月15日にトルコのイスタンブールで開かれた会合で反体制派の統一機関「国民評議会」が形成された。 11月20日未明、バース党の支部にロケット弾が撃たれた。「自由シリア軍」が犯行声明を出した。 2012年3月1日、政府軍が反体制派の最大拠点であったホムスを制圧。 6月22日、トルコ軍のF4ファントムがシリアに撃墜された。 7月15日、首都ダマスカスで反体制派と政府軍による激しい戦闘が勃発し、17日には反体制派が市民に対して一斉蜂起を呼びかけた。 18日、首都ダマスカスの治安機関本部で反体制派の自爆テロにより、ラージハ国防相、シャウカト副国防相、トゥルクマーニー副大統領補の3人が死亡しシャアール内相とイフティヤール国家治安局長が負傷した。これに対し、アサド政権側は反体制派への、報復を宣言し攻撃を開始した。 8月9日、アレッポで、反体制派・自由シリア軍は中心部のサラーフッディ―ン地区から撤退した。 10日、シリアとヨルダンの国境で、両国による戦闘が起こった。同日、イギリスのヘイグ外相は、シリア反体制派に対し500万ポンドの非軍事的支援を表明した。同日、アレッポ国際空港に対する反体制派の攻撃を、政府が撃退。翌日11日、アメリカのクリントン国務長官は、シリアの反体制派に対しさらに550万ドルの非軍事的支援を行うことを明らかにした。 20日、シリア軍がジャーナリスト山本美香を射殺する。 28日、国連難民高等弁務官事務所は、シリアから周辺国に逃れた難民の数が21万4120人に上ることを明らかにした。 9月6日、国連パレスチナ難民救済事業機関の職員が、自宅で銃撃され殺害された。 10月3日、シリア北部の都市アレッポの広場で、シリア政府軍を狙った車爆弾攻撃が三件発生し多数の死傷者が出た、とシリアメディアなどが報じた。シリアに拠点を置くジハード主義組織ヌスラ戦線が、この事件への関与を認めた。 21日、ダマスカス旧市街のキリスト教徒居住者が多いバーブ・トゥ―マー付近の警察署前で、自動車に仕掛けられたとみられる爆弾が爆発し、少なくとも13人が死亡した。 12月11日、アメリカは、アルカイーダとの関連が疑われる反体制派武装組織勢力「ヌスラ戦線」をテロ組織に指定した。 26日、シリア政府の憲兵隊司令官アブドルアズィ―ズ・ア=シャッラール少将が、ビデオ声明で政権より離反し反体制派へ加わることを明らかにした。 2013年1月11日、反体制派はイドリブ県にある政府軍のタフタナーズ空軍基地を制圧した。 2月21日、シリアの首都ダマスカスで、政権与党バース党の本部やロシア大使館の近くで車爆弾攻撃があり、53人以上が死亡した。3月6日ゴラン高原において国連兵力引き離し監視団のフィリピン人要員21人がシリア反体制派勢力に拘束された。9日、6日に拘束されたフィリピン人21人が解放された。 18日、シリア軍戦闘機2機がレバノン北部の町アルサールにロケット弾3発を撃ち込んだ。シリアの外務省は攻撃を否定している。 6月2日、レバノン領内でシリア反体制派武装勢力とヒズブッラーの間で戦闘があり、死者が出た。 9月4日、アメリカの上院外交委員会は、シリアへの軍事攻撃を条件付きで承認した。 10月14日、シリアは正式的に化学兵器禁止条約の190番目の加盟国となった。 12月、国連はシリア北東部にイラク経由で初めて支援物資を空輸した。 2014年5月9日、停戦交渉に基づき、反政府勢力がホムス旧市街からの撤退を完了。 2015年1月26日、コバニを防衛していたクルド人民兵防衛部隊がISILの迎撃に成功。 3月28日、アル=ヌスラ戦線がイドリブ県の県都イドリブを制圧。 5月20日、ISILがパルミラを制圧。 9月30日、ロシア空軍がシリア政府を支援するためISILに対し空爆を開始。 11月11日、シリア政府軍がISILにより包囲されていたアレッポ近郊のクワイリス軍事空港を解放。約2年ぶりに同基地に対する陸路の補給路を確保。 12月9日、中部ホムスにおいて反体制派が支配してきた最後の拠点ワエル地区で停戦が成立。反体制派が撤退を開始し、アサド政権がホムス全土を掌握。 25日、ダマスカス南部のヤルムーク難民キャンプ及び周辺地区での停戦が成立。IS及びヌスラ戦線などの武装勢力が占領地域から撤退。 2016年1月16日、ISがデリゾールに大規模攻撃を実施。2月27日、アメリカとロシアが呼びかけた全国的な停戦がアサド政権と反体制派の間で成立。(ISやアル=ヌスラ戦線などのアルカイーダ系武装勢力は対象外)。 3月23日、アサド政権が15年6月よりISに占領されていたパルミラを奪還。

この内戦が及ぼした影響

この内戦により多く発生した難民がヨーロッパを中心に各地へと移動していった。そのことによりEU諸国をはじめとするヨーロッパ諸国は急務の対応を迫られ、人権の問題と難民の流入によるヨーロッパ社会の安全性、安定性が揺らぎ、実際に難民に紛れてテロリストたちが入国し、そしてテロ行為を現在に至るまで実施している。またこの内戦中に力を蓄え領土を広げ今までにないほどの組織規模を持ったISILが現在手が付けられない状態で世界各地で縦横無尽ににテロ行為を展開している。この内戦をSNSが助長したようにISILによるテロもSNSを媒体として世界各地に影響を及ぼしている。

今後の課題

上で記したようにこの内戦が生んだ問題はとてつもなく大きくて世界各地いろいろな場所に影響を与え続けている。そして、難民にしろ、テロにしろ根底にはまだ差別がある。グローバリゼーションを進めている今、このことに対してどこの国でもこの問題についてどう触れていくか、そしてそれをいかに平和という概念の実現につなげていけるかが課題になってくる。

文献

[1]  


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成