ジムクロウ法

出典: Jinkawiki

法名の由来

 名前そのものはミンストレル・ショーという、白人が化粧で黒人に扮して歌うブラックフェイス・パフォーマンスショーの1828年ヒット曲『ジャンプ・ジム・クロウ』が由来だ。コメディアンで『ダディ』の名で愛されたトーマス・ダートマス・ライスが演じて人気を博し、全米に広めた。ジム・クロウは田舎に住む貧しい黒人のキャラクターであり、クロウより裕福で都会の黒人であるジップ・クーンとともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。白人がみすぼらしい黒人を演じているという点からおおいな差別ともみられ、1837年には黒人隔離を指す言葉にもなった。

法の内容

 黒人による一般公共施設の利用を違反とした法律。問題は対象となる人種が、アフリカ系黒人にとどまらず、黒人の血が混じっているものはすべて黒人とみなすという一滴規定という人種差別法に基づいておりインディアン、メスティソ、ムラート、メティ、サンボ、ブラック・インディアンも含む。

制定から廃止までの流れ

 南北戦争後、北部州の(共和党)は「奴隷制廃止」を掲げ、伝統的な南部11州(民主党)は維持を掲げていた。先手を打った南部11州は黒人の準奴隷システムを正当化するような黒人法を制定した。南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎だった黒人取締り法がジム・クロウ法の礎になったとみられる。黒人取締り法は1866年の公民権法によって廃止されたものの、南部再建後にはすでに南部諸州でぽつりぽつりとジム・クロウ法が制定された。1945年以降、公民権運動が高まりジムクロウ法に対して裁判闘争が行われた。1954年から1955年にかけ連邦最高裁判所は、プレッシー対ファーガソン裁判で確立された「分離すれども平等」という判例法理を覆し、公立学校における人種別学制度は違憲とした。1964年7月2日にリンドン・ジョンソン政権は公民権法を制定、南部各州のジムクロウ法は即時廃止となった。

白人至上主義はキリスト教に基づいた考えであるが人間の道徳との秤にかけるのはお門違いではないだろうか、これに基づいて人種問題に関する事例についてを今一度考えてみようという気になった。


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