ジムクロウ法3
出典: Jinkawiki
バージニア植民地で17世紀初頭にアフリカ人を奴隷として取引した記録が残っており、奴隷制度を採用していたアメリカ南部において耕作奴隷として働かされた。この奴隷制は19世紀半ばまで続き、リンカーン大統領が南北戦争中に出した奴隷解放宣言により廃止され、400万人近くの黒人が奴隷身分から解放された。しかし、奴隷制が廃止されても黒人の状態はそれほど改善されず、逆に縛りが強固となった。具体的に、生活習慣の中で黒人の権利や自由を厳しく制限するジムクロウ法と呼ばれる法律が1960年代の公民権運動まで続いた。 アメリカ同様にブラジルも過去においてアフリカ人奴隷に労働力を依存した時代があった。アメリカもブラジルもそれぞれの法律はニグロを劣等なものと規定したが、アメリカの場合はこの法律と習慣は持続され、時がたつにつれて強化された。のちの憲法修正第14条の制定と、若干の北部諸州による公民権法の可決のあとでさえ、黒人に対する隔離と差別は、ジムクロウ法の下で合法的になり、日常生活の細部に至るまで制約を受けた。例えば、黒人を公共の場から排除することや、学校・バスや列車など、あらゆる施設を白人と黒人用に分けて徹底した差別化を図った。
参考文献 杉野俊子(2012)『アメリカ人の言語観を知るための10章』大学教育出版