ジム・クロウ法4
出典: Jinkawiki
概要
ジム・クロウ法は、1876年から1964年にかけて存在したアメリカ合衆国南部の州法で、黒人の一般公共施設の利用を禁止制限した法律である。ジム・クロウとは、1828年ケンタッキー州で上演され、ヒットしてヨーロッパでも流行したミュージカルの登場人物(黒人)の名前で、その後黒人の蔑称となった。この法律の対象となる人種は、「アフリカ系黒人」だけでなく「黒人の血が混じっているものはすべて黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定」に基づいており、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン、ブラック・インディアンなどの、白人以外の有色人種も含んでいる。1890年ごろから白人の暴力も目立つようになり、黒人に対するリンチ事件は年間180件に及んでいる。このようなリンチは犯罪を犯した黒人への体罰であるとか、黒人の人口を調整するためのもの脅しであるという理由でジム・クロウほうをせいとうかしたものであった。
経緯
南北戦争後の南北統合期には共和党と民主党は対立しており、北部州(共和党)は奴隷制度廃止を掲げていたが、伝統的な南部11州(民主党)は反対に奴隷制度維持を掲げた。南部11州は先手を打って黒人の準奴隷システムを正当化するような「黒人法」を制定した。当時のアメリカは地域格差が大きく、デトロイトやシカゴなどの北部都市は工場が発展し始めていたが、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。そのため、南部経済を支える有力な白人農園主たちは黒人の労働力によって農業を成り立たせていたために、奴隷制度の廃止を拒んだ。この黒人法が礎となり南部を中心にジム・クロウ法を制定された。 1964年7月2日、リンドン・ジョンソン政権は公民権法を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった。
実例
・赤十字社は1942年まで、白人の血と黒人の血を分けて保存、輸血の際も白人には白人、黒人には黒人の血を輸血した。
・ルイジアナ州では映画館や動物園などで白人用と黒人用の切符売り場を7.5メートル以上離して設置するよう規定
・ノースカロライナ州とフロリダ州では、共同で使用する学校の教科書を、白人用と黒人用別々に保管
・フロリダ州では白人と黒人の結婚は禁止された。なお、4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば、純粋な黒人と同様『黒人』として扱われた。また、結婚はしていない白人と黒人のカップルは、同棲や宿泊が禁止されており、禁固刑や罰金が課せられた。
・アラバマ州ではバスも差別化されていた。バス停留所には白人用と有色人種用の2つの待合場が存在し、乗車券売り場も白人用と非白人用があった。座席まで分けられており、モンゴメリー・バス・ボイコット事件の発端になった。