ジャンヌ=ダルク

出典: Jinkawiki

目次

ジャンヌ=ダルクとは

 ジャンヌ=ダルクとは1412年にロレーヌ地方の農家の娘として生まれたのにもかかわらず、百年戦争にて英雄と称されるほどの活躍をした女性である。


百年戦争に参加した経緯

 ジャンヌは13歳の時「天の声」を聞き、その啓示に従ってシャルル王太子との謁見を試みる。この時シャルルはわざと貧相な格好をして一般人に紛れこむが、それをジャンヌに見破られたため謁見を許可する。  シャルルはジャンヌによって自身がフランス王になることを告げられ、その「証拠」を示されたことによってジャンヌを信用するようになる。(この「証拠」はいまだ解明されていない) こうしてシャルルの信用を得て、ジャンヌは1429年にフランス軍に加わるのである。


オルレアンの奇跡

 ジャンヌがフランス軍に加わった後、オルレアンに向かいそこでイングランド軍と激突することになる。この時ジャンヌは左肩を矢で射られ、命に別条はなかったもののその不安から泣き出してしまうといったような年相応な姿を見せながらも、旗持ちとして先陣を切って突撃する彼女を見てフランス軍兵士の士気はとても上がっていた。 そして彼らは7カ月に及ぶ包囲からオルレアンを解放するのである。 このことから、ジャンヌはたびたび「オルレアンの乙女」と称される。


シャルル戴冠

 オルレアンを解放した後、ジャンヌはシャルルにランス、ノートルダム大聖堂での戴冠式を行うことを勧める。ノートルダム大聖堂での戴冠式はフランス王家の伝統であり、フランス復権を示すのにふさわしい場であったが、ランスへ向かうにはイングランド軍を突破しなければならなかった。 それでもシャルルはジャンヌの意見を採用、道中パテ-での戦いにて大勝利を収め、無事戴冠してシャルル7世となる。


ジャンヌ=ダルクの最期

 シャルル7世の誕生の後、フランス国内では首都であるパリ奪還を目指すジャンヌ派と現状で満足する国王や側近たちとの対立が起き、次第にジャンヌは孤立していく。そして1430年コンピエーニュの戦いにてジャンヌは拘束されイングランド軍に身柄を引き渡され監禁される。その後の度重なる審問の末にジャンヌは悪魔と交信する魔女であると断定され、翌年キリスト教から破門され火刑に処されその短い人生は幕を閉じるのである。


ジャンヌ=ダルクの死後

 当時のジャンヌの裁判には政治的な圧力がかかっていると考えられ裁判のやり直しが行われたのは死後25年たった1456年であった。この裁判によってジャンヌはキリスト教徒に戻ったのであった。さらに1909年、ジャンヌは聖女に認定された。


参考文献

 高山一彦『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」』岩波新書、2005年


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