ジャン・シベリウス2

出典: Jinkawiki

目次

ジャン・シベリウスとは

ジャン・シベリウス(ヤン・シベリウス)はロマン後期~近代にかけて活躍した、フィンランドを代表する国民主義の作曲家。

シベリウスの生涯

シベリウスは1865年12月8日、ヘルシンキ近郊のハメーンリンナで医師の息子として生まれた。19歳のときに、ヘルシンキ大学の法律家に入学。同時にヘルシンキ音楽学院で作曲も学んでいたが、音楽に目標をしぼり、大学を中退。4年間ヘルシンキ音楽院で学んだのち、政府の奨学金をうけて1889年からベルリンとウィーンへ留学。ベルリンで、R・シュトラウスの交響詩に感銘を受けた。帰国後は母校であるヘルシンキ音楽院で教鞭をとりながら、1892年に「クッレルヴォ交響曲」を完成。これは、シベリウスが興味をもっていたフィンランドの民族叙事詩"カレワラ"(雄大な構想と想像力にあふれる英雄物語)の登場人物を主題にしたもので、初演では、好評を博した。同年、シベリウスは、アイノ・ヤルネフェルトと結婚。その後、フィンランド政府の年金の支給を受け、作曲に専心。代表作である交響詩「フィンランディア」や「ヴァイオリン協奏曲」を作曲した。ピアノ曲では樹木を描いた組曲「5つの小品 Op.75」の"樅の木"が有名。シベリウスの音楽はフィンランドの神話や大自然などを精神的に昇華させたものが土台になっている。後半生は妻の名にちなんで命名された「アイノラ」をヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーに建てて過ごす。交響曲第6番、交響曲第7番、交響詩「タピオラ」を書き上げたが、それ以降は亡くなるまでほとんど作品は発表しなかった。1957年、ヤルヴェンパーで脳出血のため亡くなる。シベリウスの葬儀は、ヘルシンキ大聖堂で国葬が営まれ、棺はアイノラの庭に埋葬された。91年の生涯であった。

ジャン・シベリウスの代表曲

交響曲(全8曲)

・「クッレルヴォ交響曲 ホ短調」 op.7

・「交響曲第1番 ホ短調」 op.39

・「交響曲第2番 ニ長調」 op.43

・「交響曲第3番 ハ長調」 op.52

・「交響曲第4番 イ短調」 op.63

・「交響曲第5番 変ホ長調」 op.82

・「交響曲第6番 ニ短調」 op.104

・「交響曲第7番 ハ長調」 op.105

最近の研究で、シベリウスは交響曲第8番を完成はさせたが、その出来に満足できず、手稿の大部分を燃やしてしまったと推測されている。交響曲第8番のスケッチが部分的に現存することは分かっているが、まとまった形での復元は難しい。

交響詩

・「エン・サガ」 op.9

・「レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)」 op.22

   「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」 op.22-1

   「トゥオネラのレンミンカイネン」 op.22-2

   「トゥオネラの白鳥」 op.22-3

   「レンミンカイネンの帰郷」 op.22-4


・「フィンランディア」 op.26

・「夜の騎行と日の出」 op.55

・「吟遊詩人」 op.64

・「ルオンノタル」 op.70

・「大洋の女神(波の娘)」 op.73

・「タピオラ」 op.112


ピアノ曲

・6つの即興曲 op.5

・ピアノ・ソナタ ヘ長調 op.12

・組曲『キュッリッキ』 op.41

・3つのソナチネ op.67

・5つの小品(樹の組曲) op.75


引用・参考文献

*フィンランドの民族的音楽の開祖ジャン・シベリウスの生涯・作風・代表曲 http://www.classic.13site.com/composer/sibelius.html (代表曲引用)

*YAMAHA 楽器解体全書 http://www.yamaha.co.jp/plus/person/?ln=ja&id=32


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