ジョージワシントン

出典: Jinkawiki

ワシントン

 ワシントンは「アメリカ建国の父」とされている。新しい国を建てるとき、「建国の父」として、国民的敬意の対象にできる人物が必要であった。その人物にもっともふさわしい人物こそがジョージ・ワシントンであった。独立戦争の軍事司令官であったワシントンは、八年にわたって終始革命軍を率いていた。 彼の偉大さは、弱体で実行力のない大陸会議に不満を抱きながらも、辞任をすることもなく、かといって独裁的な権力を求めることもなく、ただひたすらに職務をまっとうしようとしたという偉大さであった。軍の力を使い政治を動かそうとした一部の将校や、政治家の策謀を自らの権威をもっておさえつけ、軍は統治機関から委ねられた任務をはたすのみという原則を守ったのであった。彼の手際の良さと見識は素晴らしいものであるといえる。 一七八七年に、連邦体制を再検討するフィラデルフィアの会合に集まり、合衆国憲法を作定した政治家たちは、彼らの会議と彼らの憲法を権威づけるために、すでに、国民的英雄であったワシントンの参加を望み、彼をこの会議の議長に選んだ。 彼は議長職に専念し、議論されている問題には発言をひかえたが、この憲法が発効すれば、合衆国大統領の地位が自分にまわってくることは、予想していたであろう。アメリカ国民の誰もが、初代大統領になるべき人物は、ワシントンであると考えていた。ワシントンは権力を求めなかった、むしろ権力が彼を求めていたのである。 そして、彼は当然の如く初代大統領になった。あらたな合衆国憲法体制に彼のカリスマ性によって正当性を与え、その安定に貢献した。 彼は、大統領という地位にとどまろうとすれば、終身再選され続けていたであろう。だがしかし、彼は二期八年で引退することを決定していた。これは、長く不文律として守られた。 役割は、一七九九年の彼の死でも終わらなかった。 彼は、ますます英雄としてまつりあげられ、建国の父として国民的統合の維持に貢献するのであった。 彼は、ヴァージニアの大農園主だったため、当然奴隷所有者であった。そのためか、彼が奴隷制度について述べたことは少ない。


大下尚一 「資料が語るアメリカ」 有斐閣 1989 有賀貞 「ヒストリカル・ガイド アメリカ」 山川出版社 2004


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