スウェーデンの保育の歩み

出典: Jinkawiki

4、スウェーデンの保育のあゆみ

 スウェーデンの就学前教育制度はOECDが提唱している「スターティングストロング(人生の最初の時期を力強く)」の最先端を行くモデルである。親の就労や就学を保証し、保育を子どもの権利として保証するものである。1975年に制度化→1996年に社会省から教育省に移管→1998年に法律も社会サービス法から学校法に移管。  日本が課題になっている幼保一元化や待機児童問題をどう解決していったか、その課題をたどっていく。 スウェーデンの保育制度のルーツ


1)19世紀後半 Barnkurubbaの設立

 一般的に0歳から7歳の子供たちを、朝7時から夜7時まで預かっていた。子供たちは清潔にされ、日に3度の食事が与えられた。貧困者の事前施設として始まり、1938年にDaghem(昼間の家)と名称変更され、1975年には「就学前学校法」によりHeltidsForskola(全日制就学前学校)となった。


2)indergartenの設立

1896年、ストックホルムに最初の幼稚園が設立された。3~7歳の子供を対象に、1日に3~4時間の保育を教育学的目的で行った。簡素なKrubbaと対照的に設備が整ており、裕福な家庭の子供たちだけが通っていた。1938年にLekskola(Lekは遊び、skolaは学校)と名称変更し、「就学前学校法」によりDeltids Forskola(半日制就学前学校)となった。しかし、1998年に就学前学校クラスが創設され、半日制就学前学校の歴史は閉じた。


3)社会民主党政権誕生 1930~1940年代

1932年に社会民主党政権が誕生し、以後1976年まで44年間にわたる長期政権を担当し、福祉国家政策を始めた。そして、Barnkurubbaの内容のレベルアップに力を入れた。1938年に人口調査委員会は保育施設について初めて調査を行い、1944年、戦時体制下での女性労働力の確保や子供の社会性育成などの必要性からDagsemの建設を促す勧告が出され、政府はDaghemとLekskolaに補助金を出すことを決定した。


4)戦後1950年代~主婦の時代

しかし、戦争が終わると女性たちは家庭に戻るべきだと考えられるようになり、1950年代には「主婦の時代」となった。その結果、保育施設の拡大は止まり、1960年のDaghemの定員は1万人と、10年前と比べてわずか500人増加したに過ぎなかった。家庭保育室の定員もほぼ同数に止まった。一方、Lekskolaは拡大を続け、19000人から28000人へと増加した。


5)1960年代~女性の社会進出

 しかし、一転して1960年代は「スウェーデンの黄金期」といわれる高度経済成長の時代で、女性労働力の期待と、自由を求める女性たちの願いが増大し、保育施設の増設への要求が高まった。それに伴い、すべての施設を保育施設の総称、「Barnstuga(子供の小屋)」と一括することとなった。その中で1日5時間以上の保育をするDaghem、3時間の保育をするLekskola、学童保育の3種類及び公費助成を受けた「保育ママ」による家庭保育室と分類した。しかし、「保育施設」を教育機関としてとらえるべきではないかとの意見が出されるようになり、徹底した形態での幼保一元化への方々が強くなりだす。


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