スカーフ事件6
出典: Jinkawiki
1989年10月、フランス北部オワーズ県にある人口3万人余りの小さな町のクレイュの中学で14才から15才の3人の少女が学校側から教室への入室を禁止され、図書館で学習するよう指導された。3人の少女は少し前からイスラムのスカーフを着用して登校していた。数日にわたり校長による保護者説得が行われたが、功を奏さなかった。そしてその3人の少女がスカーフを着用し続けたのでこのような措置がとられた。フランスでは政教分離の原則より、公立学校では、宗教的な象徴を顕示的な形で身につけることが禁止されている。学校側の処置はこの原則にのっとったものであった。
しかし、実際は、学校におけるスカーフ着用という現象は、1989年に突然起こったわけではなく、1985年くらいから問題は発生していた。この1989年に起こったクレイュ事件はそれが顕在化して、一大社会問題となるきっかけとなった。また、このスカーフ事件は全国のメディアから注目を集める結果となった。メディアによって、スカーフ着用問題はほかの学校にも飛び火し、大学や小学校でもスカーフを着用する者があらわれた。スカーフ着用はイスラム生徒の宗教を理由にした一連の行動の集約的象徴的表現である。そして、問題はスカーフ着用にとどまらず、水泳などの授業の拒否や、さらにはイスラムの教えに合致しないという理由で哲学の授業の拒否などの行動が起こされる場合もある。このようにメディアが取り上げたことによりフランスの国論を二分にし、旧来のように左右という単純な形ではなく、後にみるように左右を横断した複雑な形で二分し、多くの知識人を動員する大論争の契機となった。
このスカーフ事件をきっかけとして移民のフランス社会統合のための具体的な施策を検討し政府に提言するための「統合高等委員会」が創設された。この統合高等委員会が2000年11月に「フランスにおけるイスラム」という大部の報告書を政府に提出した。この報告者はフランスにはイスラム教徒が四百万人おり、カトリックについでフランス第二の宗教であるにもかかわらず、その信仰実践の実態にこれまでフランスなどに関心をもたなかったことに反省を示し、モスクの不足や食品にかんする宗教的慣習などに関して、イスラム教徒が信仰を実践するのに多大な困難を感じている実状を明らかにし、それを解決するための具体的な提言をした。各児童はその宗教的帰属を表明する可能性を保証されるべきであるが、それには3つの制限がある。①学校の秩序を混乱させないこと②学校の義務は遵守すること③宗教の勧誘にはならないことである。
こうした観点から、法律改正が行われないかぎり、当委員会の大多数は国務院によって定義された法的枠組みを尊重することが必要であると考える。上に記載した条件の範囲内であるにもかかわらず特定の宗教的印の着用を全面的に禁ずることは法秩序にたいする無知である。
投稿者 k.s