スポーツ栄養学

出典: Jinkawiki

スポーツ栄養学といわれてまず思いつくのは, 「スポーツ選手のパフォーマンスを向上させるためには, どのような食事,栄養素を摂取したらよいのかということを解明する学問分野」ということではないだろうか. 一昔前までは「明日の試合にカツ (勝つ)ために, 今晩はカッ井を食べよう」 や「運動中に水を飲んではいけない」といった、今となってはとても信じられない非科学的といえる食事指導,栄養指導が多くのスポーツ現場では行われてきた。つまり食事内容はスポーツパフォーマンスとはあまり関係のないもの、影響をあまり及ぼさないものとして重要視されていなかった。スポーツ科学の研究者の間でも、どちらかというと身体の動かし方やトレーニング方法などに関する研究が中心的な存在であった。しかしながら、食事の内容がスポーツ選手のパフォーマンスに大きな影響を及ぼすことや、同じ食事であっても摂取方法によってその効果に大きな違いが生じることなどが1980年代に行われた研究によって徐々に明らかとなってきた、また、そのような知見をスポーツの現場で積極的に活用し、選手に食事指導を行う栄養士の方々の粘り強い活動もあり、スポーツ栄養学に対する理解は近年飛躍的に進んでいるように思われる。今では多くの競技団体が食事を重要な戦略の一つとして捉え,オリンピックをはじめとする国際大会に栄養士が同行し、食事·栄養面から選手をサポートするようになっている。さらには、できるだけ競技人生の早い段階で食事に対する意識を高めるため、ジュニアアスリートに対する食事指導 栄養指導も全国各地で行われるまでになっている。学術面においても国際スポーツ栄養学会(International Society of Sports Nutrition, ISSN)やNPO法人日本スポーツ栄養研究会 (現在では日本スポーツ栄養学会)が10年ほど前に設立され,国内外でスポーツ栄養学に対する注目や関心がますます高まっている。スポーツ栄養学は、スポーツ選手のパフォーマンスの向上のためだけではなく、広く一般の人びとの健康の維持·増進にとっても重要な学問分野である、他の先進諸国に先駆けて超高齢化が進み、生活習慣病患者も急増している日本において、人びとの健康に対する意識·関心が高まっている。運動、栄養ともに人びとの健康に大きな影響を及ぼす要因であり運動と健康的な食事をそれぞれ単独に行った場合や両者を組み合わせて行った場合にヒトの体に対してどのような影響がでてくるのか? 単独で行った場合に比べてより良い効果が得られるのか? さらには運動による健康増進効果をさらに高 める食事内容や栄養素は何か? といったことを解明することも、スポーツ栄養学におけるもう一つの大きな目的となっている。

スポーツパフォーマンスと健康のための食事の重要性

食事の効果やその重要性はいつ頃から人びとに認識されていたのであろうか? 旧約聖書に書かれているアダムとイプの「禁断の果実」 についての話を一度は耳にしたことがあると思う。旧約聖書によれば、イプは蛇に「それを食べると、あなたの目が開け、あなた方は神のように、善悪を知るものとなります。神は、そのことを怖れておられるのです」 と唆されて禁断の果実 に手を出し、さらにアダムにもその果実を勧めたと記されている.つまり禁断の果実に手を出したのは、「それを食べることで以前よりも賢くなれる、神に近づける」という動機に基づいている。 このことは、現代のアスリートや多くの人びとが持つ「もっと強くなれる食べ物があれば」、「これを食べれば健康になれるという食品はないのか」 という食事によって強靭な肉体を手に入れたい、健康になりたいという欲求とほぼ同じである。つまり、食事によって自らの身体をより良いものにしようとする考え方は, 実は, アダムとイブの時代にすでに存在していたともいえる。 また、古代ギリシャ時代にもすでに食事の重要性が認識されていたようである。紀元前 460年頃~紀元前 370年頃に存在したといわれるヒポクラテスは、医学を臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことから、「医学の父」、「医聖」と呼ばれている。彼の言葉の一つに、「すべての人が、多すぎずまた少なすぎず、適切な量の栄養素を摂取し、適度の運動を行うことができれば、それはもっとも安全に健康を手に入れる方法となるだろう」 というものがあり、すでにこの時代において食事が健康の維持 増進において重要であるという考えが示されている。この「多すぎずまた少なすぎず, 適切な量の栄養素を摂取できる食事」というのが理想的な食事であるというのも、当然といえば当然のことなのであるが、ヒポクラテスの時代から 2500年近しかった現代においても実践できない人が多いのではないだろうか。食べすぎによる肥満患者が全世界で急増して大きな社会問題になっている一方で、低倉家も多く、摂取栄養素の偏りや不足が生じることもあって、健康を害すー因になっている。また、パフォーマンスや健康のために摂取する錠剤型のサブリメントなどは、機能性成分を濃縮したものが多く、簡単に摂取できることから、効果を期待しすぎて過剰摂取となるケースもみられる。 食事がパフォーマンスの向上や健康の維持 増進においてなぜ重要なのだろうか、ということについて改めて考えてみたい、食事の重要性を端的に示す言葉の一つに、「あなたは、あなたの食べたものからできている」 というものがある。最近テレビの CMなどでよく耳にする言葉であるが, これはもともと 18世紀後半から 19世紀前半にフランスで食通として有名だった法律家·ブリア=サヴァランが「美味礼賛』 という著書の中で「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるか言いあててみせよう」 と述べた一節からきている。ヒトの身体は60兆個の細胞から成り立っているといわれている(最近では 37 兆個という説もあるが)、その 60 兆個の細胞の素となる材料やその細胞が生きるための燃料(エネルギー源) を、ヒトは植物のように光合成などによって自らつくり出すことはできず、毎日の食事から摂取しなければならない。つまり、その人はそれまでに食べてきたものからできあがっているのであって、食べたものを見れば、その人の状態がわかる。食事の影響力はそれだけ大きいものであると、プリア=サヴァランは述べているのである。これも当然のことといえば当然のことなのであるが、食事は毎日特に意識せずに摂っているため、食事をするという行為の本当の意味するところを案外忘れてしまいがちではないだろうか。アスリートにとって、このプリア=サヴァランの言葉はさらに重みを増す。トップアスリートの鍛え上げられた身体は力強くそして美しい、その身体は、1日にして手に入れたものではなく、長く厳しいトレーニングによるものであることは言うまでもない、しかしながら、トレーニングを行い、鍛え上げられた肉体をつくるためには、トレーニングを行うためのエネルギー源、さらにはその肉体の素となる材料を食事から摂取しなければならず、当然トレーニングを行っていない人たちよりもその必要量や重要度は増す。つまり、トレーニングを行い、鍛え上げられた肉体をつくるためには、一般の人以上に食事に対する重要性が増すのである。

スポーツ栄養学に対する間違ったイメージ

スポーツ栄養学に対する関心や期待が高まるなか、一部の人たちの間では間違ったイメージが広まっていると感じることがある。アメリカで人気を博したアニメの!つにポパイがある。ポパイは、天敵のブルートにいろいろな形で嫌がらせを受けるが、大好物のほうれん草を食べることで一気にパワーアップをしてブルートを懲らしめるというストーリーが繰り返される。スポーツ栄養学というと,どうしても「ポパイのほうれん草」のような即効薬 特効薬に関する学問として捉えられることが多い。何かを食べると一気にプロレスラーのようにパワーアップする, マラソン選手のように長時間疲れしらずで走ることが可能になる,といったような、すぐに目に見える効果を期待しがちではないだろうか。この傾向は普段いい加減な食事を摂っている人に特に多く見られる。しかしながら、トレーニングを1回行っただけで、簡単にパワーアップしたり速く走れたりすることができないのと同じように、何かを一口食べただけでパワーアップし、相手を圧倒できるようになることは不可能である。またそのような食事や栄養素があったとしたら、それはドービング禁止物質に指定されること間違いなしである。では、食事はどのようにして身体に影響を及ぼすのであろうか。先ほど、自分の身体は自分の食べたものからできている。というプリア=サヴァランの言葉を紹介した。しかしながら、食事を摂れば、それらがすべて身体に取り込まれ、身体の状況が一変するというわけではない。身体は一見安定した状態を保っているようで、実はその中身は少しずっではあるが絶えず入れ替わっている。これを専門用語では「動的平衡」という。したがって、食事で身体を変える、より良い方向にしていくというのは、そのような毎日行われながらも目に見えない動きの中において食事を整えることで、少しずつ身体の中身を入れ替え、スポーツ選手に適した身体、健康的な身体へと長い時間をかけてゆっくりとつくりかえていくことに他ならない。スポーツ選手の鍛え上げられた肉体や健康的な身体は、一朝ータにはできあがらないのである。この点をまず理解することが重要である。また、効果や影響がすぐに感じ取れないことから、食事の効果は過小評価されやすいという側面がある。しかしながら、日々の積み重ねはやがて大きな違いを生み出すことになる。 簡単な例として、体重·体脂肪量の増加が挙げられる。 脂肪組織1kgは約7200 kcal に相当する。一見多いように思えるが、単純計算すると1日たった20 kcal 多く摂取するだけで、1年後には脂肪が1kgついてしまうことになる。20kcal というのはクッキー1枚程度である。ついついーロと思いながらも、それが1カ月、1年間、数年間と積もり積もれば、知らず知らずのうちに大きな脂肪の塊となってあなたの前に現れることになる。食事の効果は良くも悪くもしばらく経った後に訪れる、そのことをぜひ最初に理解してほしい。


スポーツ栄養学 科学の基礎から「なぜ?」にこたえる 著者:寺田新

ハンドルネーム:ka.ka


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