セーラムの魔女狩り
出典: Jinkawiki
目次 |
セーラムの魔女狩りとは
アメリカがイギリスの植民地であったころ、1692年マサチューセッツにあるセーラムでおこった魔女狩り。アメリカ東海岸の港町セーラムは1620年代ヨーロッパからの移民が最初に入植した街の一つで、通称「魔女の街」。魔女はセーラムのシンボルで年間100万人の観光客が訪れる。
はじまり
1692年1月、100戸ほどの小さな村、セイラム村の有力者パリス牧師の家で娘エリザベス(9歳)と姪アビゲイル(11歳)が突然奇妙な行動をとり始めた。エリザベスは恍惚状態に陥り、長い間宙を見つめていたかと思うと、急に悲鳴を上げて倒れた。アビゲイルも同様で、また、喉が詰まったようなゼイゼイ声を出すのだった。家の者が回復を願って神に祈ると、アビゲイルは耳を押さえ、エリザベスは悲鳴を上げて聖書を投げ飛ばした。そして、その後10代の少女10人以上が、床をのたうちまわり悲鳴をあげるという症状が発生した。医者が治療を施しても治らず、「魔女がとりついている」といわれた。
加速していく魔女狩り
大人たちは、少女たちを苦しめている魔女は誰なのか聞き取り、少女たちは3人の村人の名前を魔女としてあげた。その証言により、犯人とされたのが、黒人の家政婦ティチューバである。彼女は裁判の中で、「悪魔と契約をした時、そこには魔女が5人いた」と証言したため、町はパニックにおちいった。 最初の法廷はセーレムで開かれ、最初の被告は、セーレム港の居酒屋の女将ブリジェット・ビショップ。彼女は、派手な身なりをしており、隣人たちから嫌われていた。数人が彼女の分身霊によって眠りを妨げられたと証言したため、「縛り首の丘」の大きなオークの木の枝に吊された。 第二回目の法廷の被告はレベッカ・ナースと他の4人の女性。レベッカ・ナースは村で重要な役職に就いており、人望もあった。しかしながらレベッカ・ナースは、他の4人とともに絞首刑にされた。 その後も少女たちは魔女の名前を上げ続け、5人を超えても止まることはなかった。
事態の収束
周囲からの疑問の声が高まり、騒動が終わったのは1年後のことだった。町の有力者で魔女とされた人物の夫のジャイルズ・コーリーが嫌疑を否定したまま拷問死したことや、最も熱狂的に魔女裁判を推進してきたヘイル牧師の妻までも告発されたことよって、流れが変わってきた。それに加えて、カナダ国境でインディアンと戦っていたフィリップス州知事が、留守中の出来事を知らされて判事を厳しく非難し、裁判を中止するよう命じたからである。 フィップス州知事は、告訴された全員を釈放して騒動は収束した
参考文献
*ANECDOTA 狂気の魔女狩り http://homepage3.nifty.com/ryuota/witchhunt.html
*魔女狩りの恐怖 セイラム村の魔女裁判|幻解!超常ファイル http://tvmatome.net/archives/488
*少女たちによる恐るべき魔女狩りとは?~アメリカ史上最後で最悪のセーラム魔女裁判が始まった日 http://enigma-calender.blogspot.jp/2013/12/salem-witch-trials.html
しゅか