ソフトテニス

出典: Jinkawiki

ソフトテニス(Soft Tennis)は、ネットを挟んで相手と向かい合い、ラケットを使ってボールを打ち合うことで、ポイントを競うスポーツである。自分のコートに飛んできたボールをノーバウンド(コートに一度もつかない状態)もしくは、ワンバウンド(コートに一度だけついた状態)で返球する。

かつては軟式庭球、軟式テニスと呼ばれていた。しかし1992年の全面的なルール改定の際に現在の名前(ソフトテニス)に改称された。

発生と歴史

ローンテニスがイギリスで発生したのは1874年のことであるが、これは明治10年のことになる。日本への伝播は早くて明治11年といわれるが、諸説あり、未だつまびらかではないといえるだろう。

表孟宏編による『テニスの源流を求めて』には数々の説が紹介されているが、どれが事実なのかは特定できていない。

なかでは明治政府の招きで来日したリーランド博士がアメリカから用具をとりいれて、赴任校である体操伝習所(1879年創設)で教えたという説、が一般に広く知られている。がこれとてそれを決定づける確たる証拠はないとされる(前書参照)。

ただおそくとも体操伝習所が廃校になる1886年頃にはゴムボールをつかったテニスが普及しつつあった。これはローンテニスのボールの国産が難しく、また輸入品も高価であったために、比較的安価であったゴムボールを代用した、と伝えられる。ゴムボールも当初は輸入品であったが、1900年に国産化に成功している。

1885年に坪井玄道・田中盛業編集による『戸外遊戯法』という本が出版されているが、これが日本語によるテニスのルールの最初のものとされる。

体操伝習所は廃校になったが、高等師範学校に体育専科がおかれ、『戸外遊戯法』の編者である坪井玄道が教師に赴任、テニスの指導をおこなう一方で、三田土ゴム(のちのアカエム)に委属してゴムボールを製造させ、普及に尽力をすることになる。

三田土ゴムは1890年(明治23年)に製造を開始。国産球を完成したのが1900年。1908年には特許を取得している。 東京高等師範体育専科の卒業生は1887年頃から全国に教員として赴任していくが、ボールの国産化はそれと同時に進行していき、ゴムボールをつかったテニスは全国に普及していくことになる。

なお、ソフトテニスといえば日本とアジアの一部というのが一般的見解だが、実際にはアジアだけでなく、広くプレーされている。

1994年よりアジア地区のオリンピックといえるアジア競技大会(ASIAN GAMES)の正式種目となった。

現在、日本においては約60万人の競技人口(登録者)と 推定700万人の愛好者がいるといわれている。700万人という愛好者の数は決して少ない数ではないが、一般的には「マイナースポーツ」というイメージにとどまっている。有力メディアに取り上げられることもあまりない。

さまざまな原因が考えられるが、その中でもオリンピック種目ではないこと、学校体育(中学、高校)が中心であると認識されていること、1980年代から急速に大衆化したローンテニス(硬式テニス)の影響等、が大きな理由だといわれる。



ルール

1対1のシングルスと2対2のダブルスがある。

試合に先立ってトスを行い、選択権を得たプレイヤーはサーブ・レシーブ、又はコートサイドを選び、もう一方のプレイヤーは残った方を選ぶ。 サーバーはコートより外側、(ベースライン中央にある)センターマークとサイドラインの仮想延長線の間から、ネットより向こう側、相手コートの対角線上のサービスエリアでバウンドするようにボールを打つ(ダブルスの場合、2ポイント毎にペア内でサーバーを交代する)。レシーバーはサーブされたボールが2回バウンドする前に相手コートに打ち返し、お互いにラリーを続ける。

次のようなときに失点となる。

・サーブを二回連続でフォルト(ミス)したとき(ダブルフォルト)

・サーブされたボールがバウンドする前にレシーバーが触れたとき(レシーバーの失点)

・相手の打ったボールが自分のコートで連続2回バウンドしたとき

・自分の打ったボールの1回目のバウンドが、相手のコート外だったとき

・ラケット以外の部位がボールに触れたとき

・打ったボールが審判に命中したとき

・相手コート内でボールに触れたとき(ネットオーバー)

・ラケットが手から離れてボールに当たったとき

・ボールがネットにかかったとき(ネットの裂目や隙間をすり抜けた場合を除き、ネットに触れた後に相手コートにバウンドするのは認められる。)

・プレー中に体かラケットがネット(または審判台など)に触れたとき(ネットタッチ)(プレーヤーが身に着けていたものが地面に落ちる前に触れた場合も含む)


得点は、ゼロ、ワン、ツー・・・と数える。先に4点を取った方が1ゲームを取得する。

ただし、ポイントが3-3になるとデュースとなり、その場合にゲームを得るには、相手に2点差をつけなければならない。

デュースの後の数え方は

サーブ側がポイントを取った場合「アドバンテージ・サーバー」

レシーブ側がポイントを取った場合「アドバンテージ・レシーバー」となる。

カウントコールはサーバー側が先となる。

2-2等両者の得点が同じ場合は、3-3以前までは「○○オール」と言う数え方をする。

3-3以降は前記の通り。但し2回目のデュースでは「デュース アゲイン」とコールをする。

総ゲーム数の過半数ゲーム(5ゲームマッチなら3ゲーム、7ゲームマッチなら4ゲーム、9ゲームマッチなら5ゲーム)先取するば勝ちとなる。ゲームカウントが2-2(5ゲームマッチの第5ゲーム)3-3(7ゲームマッチの第7ゲーム)あるいは4-4(9ゲームマッチの第9ゲーム)になったときは、7ポイント先取のファイナルゲームを行う。ポイントが6-6の場合はデュースとなり、相手に2点差をつければ、そのマッチの勝者となる。偶数ポイント目の決着後にコートサイドやサーブ(サーバーペア)を交代する。(最初の2ポイントでサイドとサーブを交代し、以降4ポイント毎にサイド、2ポイント毎にサーブを交代)

シングルスは1993年より正式に導入された。このとき採用されたルールは現在のそれとはおおきく異なり、コートの左右半面を使用するというもの。発足当初から疑問の声があがっていたが、2003年の世界選手権よりルールが改定。硬式テニスのシングルスと同サイズのコートで競技されることになった。ネットの高さなどはダブルスと同様である。

ダブルスのルールは1993年に大きな変更が見られた。1993年のルール改定では、主に「ポジションの制約」というルールが加えられた。サーバーとレシーバー以外のプレーヤーはインプレー前にコートに入ってはいけない、とするものである。

加えて、2ポイント毎にペア同士でサーバーを交代することとなった。またファイナルゲームでのタイブレークシステムが 採用。当然サービスサイドの交代もとりいれられ、永年の不公平がようやく解消された。 2004年にはマイナーチェンジがあり、サービス時のポジションの制約がなくなった。

参考文献

テニスの源流を求めて 表 孟宏(編著)

日本ソフトテニス連盟 http://jsta.or.jp/


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