タリバン4

出典: Jinkawiki

目次

概要

タリバンとは、アフガニスタンに興ったイスラム原理主義組織である。Taleban(Taliban)はアラビア語「ターリブ」のペルシア語風複数形で、「神学生」を意味する。アフガニスタンの内戦を逃れ、パキスタンの難民キャンプで教育を受けたパシュトゥーン人(アフガン人)のイスラム神学校の学生を中心に1994年に結成され、アフガニスタン南部で活動を開始した。


活動の流れ

1970年からアフガニスタンに侵攻・駐留していたソ連軍は、アメリカとパキスタンから支援を受けた反共産主義ゲリラとの戦闘に敗北し、1989年にアフガニスタンから完全撤退した。その後始まった、反共産主義ゲリラ間でのアフガニスタンの支配権をめぐる武力衝突は、1994年にアフガニスタン南部にタリバンが出現すると、制圧されていった。タリバンは、内戦で疲弊した国土と国民の心の立て直しを訴えつつ進撃を続ける。1996年9月には、首都カブールを制圧してイスラム国家の樹立を宣言した。タリバン進撃は進み、翌年にはアフガニスタン全土の軍事制圧の一歩手前まで及んだ。


政策内容

タリバンはイスラム復興主義(原理主義)である世直しを唱え、シャーリアと呼ばれるイスラム法の厳格な施行を基本政策としている。彼らは、制圧した軍閥などの麻薬(アヘン)の栽培・取引を禁止し、違反者は極刑に処した。また、歌踊音曲やテレビ、女性の教育と屋外労働なども禁止した。当初、タリバンの財源は諸外国からの経済援助や商人たちからの通商路通過料などであったが、増大する戦費を調達するためにはじめの「世直し」の道を外れて、「アヘン栽培税」を農民から徴収するためにアヘンの栽培を徴収するようになったといわれている。


政権崩壊へ

2001年には、偶像崇拝がイスラム教の教えに反するという理由で、バーミアーンにある国際的な仏教遺跡であるバーミアーン石窟を破壊し、国際社会の非難を浴びた。さらに、2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディンと国際的テロ組織をタリバンが支援したことにより、10月にアメリカはアフガニスタンのタリバン政権に報復攻撃を行い、11月にタリバン政権は崩壊し、反タリバン勢力である北部同盟が首都カブールを制圧した。しかし、2004年にはすでにタリバンの復興が目立つようになってきていて、2007年からは「ネオ・タリバン」ともいわれる極めて戦闘的な勢力が、特にアフガニスタンからパキスタン西北地域で拡張している。


参考文献 田中宇著 『タリバン』(2001年・光文社)


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