テノチティトラン
出典: Jinkawiki
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概要
アステカ帝国の都市である。現在のメキシコ市の地となっており、14世紀前半アステカ族(メシーカ族)が定着し、湖中の島を1世紀の間にアステカ文化の中心地に発展させたものである。
アステカ民族
16世紀初頭にメキシコ高原に一大帝国を築いていたナワルト語を話す民軸である。メヒーカ族とも呼ばれ、もとはメキシコ北方のアストラン地方に住んでいた 12世紀頃からメキシコ北方からアストラン地方から南方に移動しを開始し、メキシコ中央高原に定着して近隣諸民族を征服した。現在のメキシコシティーにあたるテスココ湖上の島、テノチティトランを首都とし、テスココ族とトラコパン族との同盟の中心となって一大帝国を築き、アステカ文明と呼ばれる独自の文化を育てた。有能なトウモロコシ農耕民で、テスココ湖などに浮遊農園(チナンパ)をつくっていた。また勇敢な戦士としても知られている民族である。青銅器の盾、矛、槍、弓矢を武器とした。民家は通常質素な日干し煉瓦であったが、テノチティトランに建てられた石造の宮殿や、神殿は、絵画や浮彫で飾りたてられいた。(暦の石)
水と歴史
テノチティトランは、標高2237メートルの高原にあるテスココ湖の小島に建てられた「水上都市」である。アステカ族は、対岸のチャプルテペクの首都の間に、5キロメートルにわたる石造り水道を建設し、飲料水を引くという構造にした。スペインの冒険家コルテスは、この水源を破壊してアステカの滅亡をはかったのである。水源を破壊したことにより、首都は干上がり、喉を潤すものを失った市民は湖の水を飲んだのである。しかし湖の水は塩水であり、死に至るものになった。こうしてコルテスはアステカを滅ぼし、「メキシコ」を作ったのである。 しかし現在のメキシコシティは「水問題」に苦しんでいる。テスココ湖の水を抜いてメキシコシティをつくったためである。井戸を掘ると、地盤沈下が起こる恐れがあるため、水源を遠くから引かなくてはならないのである。だが、人口の多い街を支えるための水の確保が難しく、飲料氏は100キロメートル以上離れたところから引いている。また、もともと湖の底であったメキシコシティは、窪地であるために水はけが悪く、少量の雨でもすぐに浸水は冠水が起こり、都市機能はマヒを起こす。
参考文献
・ウォーターサーバーランキング [1] ・広辞苑 第6版 岩波書店 ・ブリタニカ国際大百科事典 britannica
ハンドル名:YS