ディベート
出典: Jinkawiki
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ディベートの意味
①集会や議会等の公共的(public)な議論を行う場において、何らかの論点、課題について、
②対立する複数の発言者によって議論がなされ、
③多くの場合、議論の採否が議論を聞いていた第三者による投票によって判定される
公共的な議論に話題を限定する意義
公共的(public)とは、広く一般の人々に関わるもの全て。また、「広く一般」というのも実際は柔軟な考え方で、学校の校則は、生徒にとってはpublicなことであるし、家族旅行の行き先も家族にとってはpublicなことになる。つまり、「議論の当事者以外の者が関係する事項」であれば、関係者の中ではpublicな事柄である。また、「一般の人々」の間には、上下関係のような階層関係がない。もし上下関係があれば、公共的な関係とは言えない。このような組織では、ディベートによる意志決定は必要とされないし、成立もしない。なお、何が公共的で、何が私的であるかの線引きは、実際にははっきり決まるものでなく、程度問題である場合が多く見られる。 個人の意志決定ならば、本来自由であり、個人の選好についての話し合いに、第三者が介入する必要性はほとんどない。また、限られた当事者での利害調整ならば、当事者間の交渉によって解決するほうが効率的である。 しかし、上下関係のない平等な多数の関係者が存在する場合に、関係者の利害や権利を拘束するような事柄に関する意志決定(公共的な意志決定)では、交渉によって関係者全体の了解を得ることは難しく、関係者全体としての意志決定を行う別の手法が必要となる。 公共的な意志決定としてのディベートでは、私的な事項を扱うのはふさわしくなく、幅広い関係者全体に対して共通認識を醸成する必要がある事実や価値観、あるいは、関係者全体に関わるような政策的な事項がディベートを行うのに適切な論題といえる。
対立する論点から議論する意義
対立する主張を導入することで、はじめてその論題について多面的な検討が可能となり、適切な意志決定が可能となる。相対立する主張を比較検討する中で、それぞれのもつメリット、デメリット、あるいはその価値などが検討されていく。これらの検討の結果は、意志決定を行う人に対して、重要な判断材料を提供することができ、それによって適切な意志決定が実現する可能性が高くなる。
公共的な意志決定での重要性
意志決定者に判断材料をたくさん提示することは、議会等の公共的な意志決定では特に重要である。議論を実際行っている人以外に上下関係のない多数の関係者の利害が絡む話であり、論題についてより慎重な判断が求められる。このため、いきなり結論だけ示すのではなく、選択肢を示し、関係者に広く判断材料を提供する必要があるからである。このため、実社会で何かの検討を行う際に、だれも反対意見を述べない場合、誰かが、実際はその意見に賛成であっても検討のためにあえて反対の立場をとって議論をすることも時として必要な場合がある。
ディベートでの意志決定の特徴
ディベートは、上下関係のない多数の関係者が関係する「公共的」な問題を巡っての議論なので、その意志決定には、関係者の多数が納得できる仕組みが求められる。このため、ディベートにおける議論の当事者は、決定権者としてではなく、決定権を持つ関係者に対して自らの提案を表明することによって選択肢を示すとともに、議論によって、提示された複数の案の優劣を関係者に明らかにする役割を担うことになる。議論の中で改定(妥協)案がでてくることもあるが、その場合も、正式に関係者に改定案を提示し、既存の案について議論をし、その内容を関係者に明らかにする必要がある。 第三者や上下関係のない多数の関係者によって判断がなされるのであれば、提案者は、自らに有利な判断を得るために、判断の根拠となる事実や過程を可能な限り情報を開示し、かつ、それをわかりやすくプレゼンテーションして、自らの立場に支持を求めなければならない。また、個人的な利害に基づく判断もしにくくなり、個人的な偏見や思いこみによる意思決定を排除しやすくなる。さらに、議論の内容を記録しておくことで、意志決定が行われた後に問題が発生した場合、意志決定のどこに誤りがあったかを検証し、同じような意志決定の誤りを防止することも可能となる。このため、「中立な第三者又はできるだけ多くの関係者による判断」が、公共的な意志決定としてのディベートの重要な特徴の一つとして位置づけられている。
議論内容と人格(発言者の属性)の分離
ディベートで、正しい理性的な判断を行うためには、発言者の「人格」に対する議論ではなく、「議論内容、論拠」に関する議論)が行われることが重要。発言者の社会的地位、年齢等の「属性」に頼った議論や、議論の内容と無関係な発言者の「人格」に対する攻撃ではなく、「発言内容」によって判断する。人格や属性に関する議論は、感情的な対立を生み、合理的な判断ができなくなる原因にもなる。ディベートは、その前提条件として、主張が客観的な根拠によって組み立てられ、判断も論理的かつ客観的になされることが必要である。客観的な根拠や論理的な考え方によらない思いこみや信念は、事実認識を偏らせたり、それに対する反論に対して人格を否定されたと感じて感情的になったりして、適切な判断の障害となる。信念は、人格を構成する大事な要素であり、それを失う必要はないが、事実をねじ曲げたり、偏ったものの見方をしてよいということにはならない。
ディベートを行うために必要な能力
(1)理解力
議論の大前提として、論題の背景について理解すること、相手の発言内容、意図を理解すること。相手の議論を理解せずに、自らの主張を繰り返すことは、単なる主張であって議論といえない。
(2)分析力(批判的思考力)
相手の主張の内容を理解した後で、相手の主張を吟味してみると、矛盾やつじつまが合わないことがある。このため、まず相手の主張を無条件に受け入れるのでなく、その内容を吟味して、その論証が十分な根拠を有しているか等を客観的に分析する能力が必要。さらに、相手の主張と自らの主張との一致点と相違点を明確にし、なぜそのような相違が発生するのかを分析し、自らの主張を正当化できる能力、論理展開を可能とする知識も必要となる。
(3)構成力
相手の論証が十分な根拠を有しているか、自分と相手の主張の相違点と自らの主張の優位性をわかりやすく伝えるためは、自らの発言内容をわかりやすく、説得力があるように構成する能力が必要となる。
(4)伝達力
どんなに構成が優れていても、それを早口で棒読みしたり、相手が理解できているかを確かめもせずに一方的にしゃべったりしても、結局、その内容を関係者に伝えることはできない。 発言者は、自らの考えを関係者全てに効率よく伝達するプレゼンテーション能力が求められる。
ディベート技術を身につける意義
物事を理解するためには、複数の側面から検討することが大切である。良い面と悪い面から検討するやり方で、誤解や間違いを正すことができ、抽象的な問題のポイントもわかる。どのような判断を下すにせよ、判断の根拠となることを正しく認識することは必要不可欠なことであり、それによって正しい判断が得られるとは限らないが、認識誤りによる判断ミスは防ぐことができる。ディベートでは、複数の視点を持つ発言者によって、論題について多面的な分析がなされ、その上で第三者や複数の関係者が判断を下す。このようなディベートの技術を学び、実践することにより、意思決定における認識の誤りを防ぐことができる。
教育ディベート
教育ディベートは、あらかじめ設定された論題)を用い、肯定側・否定側の両者の立場に分かれ、一定のスピーチ時間、順番等の進め方の試合形式に従ってディベートを行うもの。このような教育ディベートは、アメリカ、イギリス等で様々な形態で行われており、日本でも、近年では中学校、高校教育にも取り入れられつつある。大学の授業や課外活動でも、教育ディベートを取り入れられている。