デンマーク風刺画事件4
出典: Jinkawiki
デンマーク風刺画事件
デンマーク風刺画事件とはデンマークの新聞ユランズ・ポステン紙がイスラム教預言者ムハンマドに関わる12枚の風刺画を掲載したことがきっかけ 2006年初頭に広まった、「デンマーク諷刺画事件」の余波は、まだ続いているーそんなことを思わせる事件が、1日、起きた。 風刺画を作成した漫画家の自宅に、斧で武装した男が押しいったのだ。
男はソマリア人で、地元警察によると、イスラム系武装組織に関与している。 過激イスラムグループの「アル・シャバブ」が攻撃をたたえるコメントを、AFP通信に出している。 このソマリア人男性(28歳)が攻撃しようとしたのは、漫画家クルト・ベスタゴー氏(74歳)。 1日、デンマークの西部オーフス(先のユランズ・ポステンの編集室がある)に住むベスタゴー氏の自宅に、 斧とナイフを手にして押し入ろうとした。ブロークンな英語で、ベスタゴー氏を殺したいと叫んだという。 自宅にいた同氏が警察に連絡すると、男はかけつけた警察官らを斧で攻撃しようとしたという。 ひざと肩部分(後の英紙報道ではひざと手の部分)を警察官に撃たれた。 デンマークの法律による制限で、この男の名前は公表されていないが、現在、殺人未遂容疑となっている(本人は容疑を否定)。 ベスタゴー氏は、12枚の風刺画の中で、ターバンをかぶった人物(多くの人がムハンマドと同一視)を描いた。 ターバンの先には爆弾がつながっており、複数の風刺画の中でもっとも論争を呼んだ1枚を作成した。 ユランズ・ポステン紙は、2005年、国内でイスラム教に関わる言論の自由が狭まっている状態を問題視し、 議論を始めるためにムハンマドに関わる風刺画12枚の掲載を計画した。同年9月末、 掲載された直後は特に大きな議論が国内で起きたわけではなかったようだ。 しかし、デンマーク国内のイスラム教徒たちの数人に聞くと、 それほど信心深い人ではなくても、傷ついた、あるいは侮辱に感じたようだ。 特に、このターバン+爆弾の風刺画はまるで預言者ムハンマドを テロリストと同一視しているかに見えて、頭に来た人が多いようだ。 その後、年が明けたあたりから、他の欧州の新聞がこれを再掲載し、世界中で大きな論争が起きた。 一部のイスラム諸国ではデンマークの国旗を焼いたり、抗議デモやデンマーク大使館への攻撃が起きた。
デンマークの保守系有力紙「ユランズ・ポステン」紙が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画十二枚を紙面に掲載した. 国内に住むイスラム教徒の一部が、偶像崇拝を否定するイスラム教ではムハンマドの肖像を描くことさえ許されておらず、 ましてや戯画化は「イスラムへの冒とく」として抗議をしたものの、新聞からの謝罪はなく、 デンマーク政府も「独立メディアの編集権には干渉しない」という理由から対話の機会を持とうとしなかった。 業を煮やしたイスラム教団体幹部らが中東諸国を訪問し、抗議の支持を取り付けると、デンマーク大使の本国送還などが始まった。 これを「表現の自由の危機」と見なしたノルウエー、フランス、ドイツなどの新聞や雑誌が、今年になって、風刺画を転載。 この時点で、ムハンマドの風刺画事件はデンマーク一国ばかりでなく、一躍世界中に知られることになった。
欧州の新聞各紙が「表現の自由」を主張し、これに賛同して風刺画を掲載する新聞が増える一方で、中東諸国に限らず、 アジア、アフリカ諸国でもイスラム教徒による抗議デモが広がった。デモは次第に過激度を増し、死者が出るまでになった。 一方、欧州の表現の自由を「二重基準」と非難するイランでは、ハムシャハリ紙が、 欧州でタブーとされるホロコースト(ナチドイツによるユダヤ人虐殺)の存在を否定するような風刺画のコンテストを開始する、 と宣言し、対決姿勢をあらわにしている。
一連の風刺画問題の背景には、イスラム教と西欧の価値観のぶつかり合いがある。 国際政治の面からは、米国を含めての西側とイスラム教社会との覇権争いとも言えよう。 直接的には、欧州社会に移民として住むイスラム教徒とホスト国になっている欧州各国の既存価値観の衝突でもある。 宗教・表現の自由、民主主義を基本とする欧州社会で、自分の宗教に対する批判を良しとしないイスラム教徒は、 どうやって折り合いをつけて生きていくべきなのだろうか?未だこの問いに対する答えは見つかっていない。
引用...http://ukmedia.exblog.jp/13391347/
http://ukmedia.exblog.jp/3599239/
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