ナショナル・トラスト4
出典: Jinkawiki
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ナショナル・トラストとは
概要(イギリス)
ナショナル・トラストは自然保護団体であり、かつ土地所有団体である。トラストの規模は、2007年現在、会員数は350万人を突破し、所有面積は62万6000エーカー(25万3000ヘクタール)以上の土地と707マイル(1138キロメートル)以上の海岸線を所有し、守っている。それに60の村を持ってる。
「ナショナル・トラスト運動」は、政府・行政から独立しつつ、トラストの会員、ボランティア、そして国民に支えられつつ展開している運動である。また、トラストは農業、そして生物多様性の保護は言うまでもなく、歴史的及び考古学上重要な文化財や大衆のレクリエーションのためのグリーン・ツーリズムなどを保護・育成するために注意を凝らしつつ、それら全体の均衡を保つことに日々努力を重ねている。
トラストの目的は、「国民のために自然的景勝地および歴史的名勝地を永久に保存し、かつその質を高め、土地については(可能な限り)自然のままの状態、特徴しして動物や植物の生命を保存すること」にある。
創立
ナショナル・トラストは1895年に創立された。弁護士のサー・ロバート・ハンター、社会事業家で婦人運動家のオクタヴィア・ヒル女史、牧師のハードウィック・ローンズリィ氏の三人が話し合って組織した。三人はいずれも優れた改革者の特質とも言うべき卓越した理想主義と判断力、そしてビジョンと決断力を兼ね備えていたと言われている。それぞれナショナル・トラストの創立以前から自然や歴史的環境の保全運動にたずさわっていた。
3人の提唱者
サー・ロバート・ハンター
ロバート・ハンター氏はかつて郵便局の事務弁護士として活躍した。十三人の郵便大臣のもとで30年間、優秀な公務員として業績をあげた。1868年、24歳のときから、共用地保存協会の事務弁護士にもなり、ロンドン北東のエセックス州の行楽地で、もと王室の所有林だったエピングの森6,000エーカーをエンクロージャー(囲い込み)から解放し、功績をあげたとされている。
オクタヴィア・ヒル
オクタヴィア・ヒル女史はフローレンス・ナイチンゲールと並んで、十九世紀のイギリスの社会改良運動に貢献した女性として知られている。「ナイチンゲールは病人の看護に一生を捧げた。一方、オクタビア・ヒルは人々が病気そのものにならないようにするために献身的に活動した」と評価されている。貧しい人々のための住宅改良運動の先駆者だったのである。
1860年代、ビクトリア時代中期のロンドンでの下層社会の住宅状況は悲惨なものであった。この人々に「太陽とその居間にきれいな空気」をもたらすために、都市の中にオープン・スペース(村落地と農耕地の周囲に広がっている野原や森林地などを含めた広大な土地)を確保する必要性をヒル女史は訴え、そのための活動を展開していた。彼女はたまたまロバート・ハンター氏と知り合い、その共用地保存運動に協力しているとき、ハンター氏からナショナル・トラスト運動を始めたいとの相談を受け、深く共鳴して協力することになった。
キャノン・ハードウィック・ローンズリィ
ハードウィック・ローンズリィ氏は、イングランドの北西部にあるケズウィック町の近くで、教区牧師をしていた。彼が住んでいたところはイングランド北西の有名な景勝の地である湖水地方だ。彼はここの自然を愛し、その保護運動に長年たずさわっていた。
三人の出会いとナショナル・トラスト
ハンター氏が共用地保存協会の弁護士として活躍した経験からナショナル・トラストの構想を思いつき発表したのは1884年である。その年の9月、彼はバーミンガムで開かれた全国社会科学振興協会の集会で演説を行った。その内容からは、彼が共用地保存協会での経験をもとに現行法律を慎重に検討した結果、単なるボランタリーな団体ではなく、確固とした基盤を持つ法人組織の必要性を確信したことが分かる。
このバーミンガムでの演説にいち早く支援の声をあげたのがオクタヴィア・ヒル女史だった。1884年2月10日付の、ハンター氏あての彼女の手紙には「新しい団体にはトラストという名をつけたらどうでしょう」と書いてあり、これを読んだハンター氏が余白に「ナショナル・トラスト?」と走り書きした。これが命名のエピソードである。
名前は決まった。しかしその新しい組織が形を成すまでには、さらに数年の歳月を要した。ロバート・ハンター氏もオクタヴィア・ヒル女史も、それぞれの社会活動に忙殺されて身動きが出来なかったからだ。そうしたところへ、牧師のキャノン・ローンズリィ氏が現れる。思想家で芸術評論家として有名なジョン・ラスキンが彼をオクタヴィア・ヒル女史に紹介したのである。
日本に伝わったナショナル・トラスト運動
最初の運動
1960年代の半ばに、鎌倉市の住民による財団法人「鎌倉風致保存会」が景観を守るために、鶴岡八幡宮の裏山での住宅造成を阻止するべく土地買い取りの運動を起こしたのが、日本でのナショナル・トラスト運動の始まりだとされている。この財団は昭和39年12月25日に設立され、鎌倉在住の文化人たちによって熱烈に支持された。結局、昭和41年6月30日に、住宅造成予定地の山林の一部、1.5ヘクタールを1500万円で買収した。こうして我が国初のナショナル・トラスト運動による土地の取得がなされ、住宅造成の事業は中止された。
埼玉県での取り組み
埼玉県では、県内に県民と県当局の協力によるナショナル・トラスト運動を始めるに先立って、県の各職場から職員を集めてプロジェクト・チームをつくり、埼玉県で行う場合の仕組みについて研究を続けてきた。県民部自治振興センターが昭和56年度の「自治に関する基礎調査研究事業」の一つとしてまとめた報告書「失われゆく自然と歴史的環境」に研究成果は盛り込まれている。内容は埼玉県の自然環境と歴史的環境が都市化の波で大きく変化しつつあることを分析し、県民の間にも危機感が芽生えたことを指摘して、その解決策を県民参加のナショナル・トラスト運動に求めている。
埼玉県ではこの報告書をもとに昭和58年5月、研究者や運動の当事者、自治体関係者、さらに前環境庁長官を招き、「緑のトラストづくりを進めるシンポジウム」を開いた。ここで討議された内容をもとに「緑のトラストづくり構想」(案)がまとめられ、知事に提出された。構想の内容は、①緑のトラストの実現に向け、その推進母体として活動する組織の設立、②緑のトラストを実現するため、県民が主体となって推進できる基金の成立、の提案である。
これを受けて県は「緑のトラスト」の実現を目指して準備を進め、昭和59年8月、財団法人「さいたま緑のトラスト協会」が発足した。さらに、この組織を中心にトラスト基金を検討し、昭和60年度にいたって発足をみた。
現在の「さいたま緑のトラスト協会」の主な事業は、「普及啓発事業」「保全地管理運営事業」「さいたま緑のトラスト基金募金活動事業」の3種類だ。
「普及啓発事業」では、「自然に親しむ会」、トラスト写真コンクールの開催、ホームページ・イベント等による広報を行い、緑のトラスト運動を推進する。
「保全地管理運営事業」では、県からの委託により緑のトラスト保全地11か所の保全管理・運営を行うとともに、ボランティアスタッフの募集・保全地に関する知識技能を高めるための実技実習等の研修、及び緑のトラスト運動指導員育成研修を行う。
「さいたま緑のトラスト基金募金活動事業」では、県からの委託により学校などを対象とした「緑のトラスト募金」や「企業募金」等による寄附キャンペーンの事業を行うとともに、基金管理の事務補助を行う。
参考文献
木原啓吉(1992)『ナショナル・トラスト』三省堂
四元忠博(2007)『ナショナル・トラストへの招待』緑風出版
参考URL 公益財団法人さいたま緑のトラスト協会 http://saitama-greenerytrust.com/saitama_midori/saitama_midori.html (2018年1月27日 閲覧)
ハンドルネーム:tonanta