ノルウェーの歴史

出典: Jinkawiki

ノルウェーの最初の住民は紀元前1万年ごろの南方からの移住者であるが、紀元前15~前3世紀にスウェーデンとデンマークの影響を受け、前1世紀ごろよりローマの文化が流入した。890年ごろハーラル王が統一し、のちに分裂するが、キリスト教布教に熱心なオーラフ2世が統一を果たした。ノルウェー王位はクヌード大王らのデンマーク支配に一時服したが、マグヌス善王はこれを回復する。マグヌス善王の死後ふたたび分裂・内乱状態が続いたが、スベッレ王が長子相続制を確立後、孫のホーコン・ホーコンソン王時代に中世ノルウェー王権は最盛期を迎えた。マグヌス改法王は全国的な法典を作成したが、このころより穀物供給を掌握するドイツ商人の進出が著しく、スウェーデン、デンマーク両王国との関係が重視される。スウェーデンとの同君連合(1319~43)を経て、ホーコン6世の子、オーラフは、1376年デンマーク王となり、1380年に父の死後ノルウェー王を継ぎ、以後434年間に及ぶデンマークとの同君連合に入る。 1397年オーラフの母マルグレーテは、オーラフの死後、統治者として君臨し、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー3国の同君連合「カルマル連合」を組織した。以後、徐々にノルウェーはデンマークの影響下に組み込まれ、クリスティアン3世治下には法的に完全なデンマークの一地方として扱われるに至る。よって、1536年の宗教改革ではデンマークによる支配拡大の手段と化し、翌年にはニダロスのカトリック大司教オーラフ・エンゲルブリクトソンの亡命によってノルウェーの旧教勢力は完全に力を失った。1661年フレゼリク6世治下で成立したデンマーク絶対王政は、1687年クリスティアン5世のノルウェー法によってノルウェーの中央集権化がなされた。18世紀後半には自作農化が進み、またヨーロッパを舞台とする各戦争では、海運国ノルウェーはデンマークの中立によって繁栄し、デンマークからの独立気運が高まった。デンマークのナポレオン戦争の敗北を機に、キール条約によって1814年にノルウェーはデンマークから手放されたが、条文ではスウェーデン王へ割譲され、独立闘争も簡単に鎮圧され、モス条約によるスウェーデンとの同君連合(1814~1905)に移行した。その間に成立した自由主義的なアイスボル憲法と連合法を根拠に外交・防衛以外の自治権を得た。 1884年に左翼党政権が成立し、議会主義が確立された。98年に普通選挙、1913年には国政への女性参政権が認められた。1880年にはノルウェーは世界第3位の商船保有国となり、自らの領事館を要求、この問題の解決を求め、1905年に独立国となった。 第二次世界大戦中、中立政策がヒトラーのナチス・ドイツによって破られたため、戦後は中立志向を維持しつつも、1945年国際連合、49年NATO(北大西洋条約機構)に参加、経済的には59年EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)に加盟した。


参考文献:『北欧史』(山川出版社)


参考資料:http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/


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