ノルマンディー上陸作戦2
出典: Jinkawiki
1ノルマンディー上陸作戦 ノルマンディー上陸作戦とは1944年6月6日に英米軍を主力とした連合軍によって行われたノルマンディー海岸への上陸作戦のことを指す。作戦の決行日は「D-デイ」と呼称され、入念な準備を行い進められていた。オーバーロード作戦における最初の作戦であり、多くの戦力が投入された。(戦艦約5300隻、航空機14000機、人員176000人)第二次世界大戦の転機となる作戦の一つとなる。連合軍は空挺部隊の奇襲を行い、その後、敵前上陸を行う。
2空挺部隊の奇襲 作戦は6月5日の深夜から行われ、上陸の開始に先立ち、イギリス第6空挺師団、ギリス第6空挺師団、アメリカ第82空挺師団、アメリカ第101空挺師団がドイツ軍の背後の要衝へ落下し、ドイツ軍を混乱させることに成功する。アメリカ空挺師団はパイロットが経験不足だったため広い範囲に兵員が分散してしまい、少なからぬ兵が海やドイツ軍が作った沼地に降下して溺死し大損害を受けた。しかし、一方で広範囲に兵が降下したためドイツ側を混乱に陥れることになった。
3敵前上陸 6月6日の早朝に連合軍は艦砲射撃、空襲を行った。続いて、つの管区で一斉に上陸用舟艇による敵前上陸が決行され、連合軍はノルマンディーに橋頭保を築く事に成功する。この日に出撃を行ったドイツ軍の航空機はFW190が2機とわずかな爆撃機のみでドイツ軍は一方的に攻撃を受け、空は常に連合軍が制空権を確保していた。 またドイツ海軍水雷艇による反撃も行われたが、駆逐艦1隻を沈めただけに終わった。しかしオマハビーチでは連合軍はドイツ第352歩兵師団の存在を認知できなかったため上陸部隊に50%近い3000名余りの死傷者を出した。それ以外の海岸ではジュノーで900名、ソードで630名、ゴールドで400名、ユタで200名ほどの死傷者を出したが、1~2万人の戦死を覚悟していた英米首脳を安堵させた。 同日16時イギリス第6空挺師団への対応に向かっていたドイツ第21装甲師団が引き返しソード・ビーチとジュノー・ビーチの間に反撃を仕掛ける。装甲擲弾兵連隊は浸透して海岸付近まで進出したが、肝心の装甲連隊の反撃はイギリス軍の対戦車砲陣にまともにぶつかり戦車の半分を失い阻止された。しかし、この反撃により進撃が停止する。イギリス軍は初日に占領する予定だったカーンに到達することができなかった。カーンを巡るイギリス軍とドイツ軍の戦いは7月18日まで続くことになる。 参考文献 『ノルマンディーのロンメル』、朝日ソノラマ、1985年フリードリッヒ・ルーゲ 『史上最大の作戦(原題:The longest day)』、早川書房、1995年コーネリアス・ライアン