ノート:スクールカースト2

出典: Jinkawiki

目次

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語: United States of America)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国である。イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家で、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づけ、建国時から1964年までは奴隷制のような矛盾を抱えつつも、ロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた歴史を有する。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の国民は、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。そのため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。政治的な統治形態としての民主主義、自由主義、共和制、議会の二院制、行政府の大統領制、立法・行政・司法の三権分立制、経済制度としての資本主義を採用している連邦国家の1つである。


政治

内政

50州とコロンビア特別区で構成される連邦制。それぞれの州は高度な自治権を持っているが、連邦政府の有する権限は非常に強大である。連邦政府は、立法、行政、司法の三権分立制をとるが、その分立の程度が徹底しているのが大きな特徴である。元首であり、行政府のトップである大統領は、間接選挙で大統領選挙人を介し、選出される。任期は4年で3選は禁止。行政府は、大統領と各省長官が率いる。議会は、上院と下院から構成される両院制(二院制)である。上院は、各州から2議席ずつの計100議席、任期は6年で2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は、各州の人口を考慮した定数の合計435議席(その他に投票権のない海外領土の代表など5人)からなり、任期は2年。一般的に、上院は上流層の意見を反映し、下院は中流下流層の意見を反映しているとされている。大統領は上下両院のバランスをとる役割を期待されている。アメリカ合衆国議会議事堂 議席は歴史背景から共和党と民主党による二大政党制が確立している。基本的に東西両海岸沿いに民主党支持者が多く、中部に共和党支持者が多いと言う地域的特色があると言う調査結果が出ている。他にも少数政党はいくつか存在するが二大政党を覆す程には至らず、時折選挙戦で注目を浴びる程度である。

外交 アメリカは経済、政治、軍事において膨大な影響力を保持しており、その外交方針は世界的な関心を集める。国際連合本部はニューヨークに置かれ、国連における議決機関安全保障理事会の常任理事国として強い権限を握る。他に主な加盟機関として、北大西洋条約機構、太平洋共同体、米州機構があり、主要国首脳会議構成国でもある。親密な関係を有する国としてはイギリスやオーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、日本、韓国、中華民国(台湾)、およびNATO加盟国があり、中でもイギリスとは「特別な関係」と呼ばれる強固な絆で結ばれ、軍事上や核兵器の情報、技術共有も行われている。

米西戦争以前は、モンロー主義に代表されるような孤立主義政策だったが、米西戦争以後は、後発帝国主義国として外国への軍事介入や傀儡政権を樹立して間接支配する外交政策を繰り返した。20世紀初期から第二次世界大戦までの期間に、キューバ、パナマ、ニカラグア、ドミニカ共和国、ハイチ、メキシコに軍事介入し、メキシコ以外の前記の諸国に傀儡政権を樹立した。第二次世界大戦後は戦勝国となった上に国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦後に起きた冷戦において、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する、日本やイギリスなどの資本主義陣営の事実上の盟主的存在として、「自由と民主主義の保護」の名の下、朝鮮戦争やベトナム戦争など世界各地の紛争に介入している。冷戦中は「反共」またはアメリカ合衆国の外交に協力的という理由で、キューバ、パナマ、ニカラグア、ドミニカ共和国、ハイチ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、ベネズエラ、韓国、フィリピン、南ベトナム、カンボジア、イラン、イラク、ザイールなどの各国に傀儡政権を樹立または軍政や王政やその他の独裁政権を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と経済的貧困を与えることになった[要出典]。アメリカ合衆国が樹立し間接支配していた傀儡政権は、革命や民主化運動により崩壊が続き、1990年のチリのピノチェト大統領の辞職を最後に全て崩壊した。中東においては、1947年のパレスチナ分割決議と1948年のイスラエル建国以後、ユダヤ系アメリカ人やイスラエル系ロビイストの影響力からイスラエルの戦争や武力行使による民間人殺傷や占領を正当化または黙認し、中東のイスラム文化圏の国民から反米感情をもたれるようになった。1989年の冷戦終結と1991年のソ連崩壊後は、唯一の『超大国』となり、強大な軍事力を背景にパナマ侵攻やソマリア内戦、イラク戦争など、各国の紛争や戦争に積極的に派兵し、その当事国となった。1979年のイスラム革命後のイラン、1991年の湾岸戦争後のイラクなどの中東のイスラム系国家を対立視することが多いことから、イスラム系国家の国民から多くの反発を買うことになった。


国際関係

日本との関係 日本との外交関係は、1854年の日米和親条約からである。政治的・軍事的においてアメリカ側の強い主導下で緊密だが、経済関係ではジャパンバッシング、日米貿易摩擦、年次改革要望書などで時に対立もある。貿易摩擦ではアメリカは自国製品の競争力低下を棚に上げ、差別的な対日制裁法案立法化の動きを利用し日本へ圧力をかけ続けた[19]。さらに1985年のプラザ合意による為替レート調整によって日本の輸出産業を抑制した[20]。外務事務次官・駐米大使を務めた村田良平は、貿易交渉等でアメリカが日本へ厳しい態度をとったのは、既にソ連の脅威が去り、代わりに日本が脅威になると考えている人間がアメリカ政府内にいた事も一因であり、ジョージ・H・W・ブッシュ政権以降、日本へ露骨な内政干渉を開始したと述べている。緊密の度合いについては、二国間関係がアメリカの強い主導下にあるため日本国内から対米従属であるとの指摘もある。アメリカは日本の軍事力を抑制し、最先端兵器開発を阻止している。

日米交流のあけぼの

1797年(寛政9年)にオランダ東インド会社とバタヴィアで傭船契約を結んだアメリカの船の多くは、セイラムから日本に向けて出航した。そして、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、日米貿易は1808年(文化6年)まで続いた。ただし、その日米貿易は日本とオランダ商館との関係に配慮した特殊なものであった。アメリカ船が長崎に入港する際は、1795年に滅亡したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の国旗を掲げてオランダ船を装うよう、すでに雇い主を失っていたオランダ商館から要請された。日本に向けられたアメリカ船は次の通り。

1.1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のイライザ号。
2.1798年、同上。
3.1799年、ジェームズ・デブロー船長のフランクリン号。
4.1800年、ウィリアム・V・ハッチングス船長のマサチューセッツ号。
5.1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のエンペラー・オブ・ジャパン号。
6.1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長のマーガレット号。
7.1802年、ジョージ・スティルス船長のサミュエル・スミス。
8.1803年、ジェームズ・マクニール船長のレベッカ号。
9.1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のナガサキ号。
10.1806年、ヘンリー・リーラー船長のアメリカ号。
11.1807年、ジョセフ・オカイン船長のエクリブス号。
12.1807年、ジョン・デビッドソン船長のマウント・バーノン号。
13.1809年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカレベッカ号。

黒船来航と国交樹立

19世紀に日本で明治維新を起こすきっかけの一つとなった、1854年2月のアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督率いる「黒船」の来航を経て、同年3月に日米和親条約を締結し正式な国交を樹立した。その後1859年6月に日米修好通商条約を結んだことにより、両国間の本格的な通商関係も開始された。 1871年(明治4年)12月から翌年7月まで特命全権大使・「岩倉使節団」が、アメリカ大陸を「ユニオン・パシフィック鉄道」、「ペンシルバニア鉄道」を使って横断している。その主なルートはサンフランシスコ港-サクラメント-ソルトレイク・シティ-シカゴ-ワシントン-フィラデルフィア-ニューヨーク-ボストン港であり、当時の様子が、「米欧回覧実記」に克明に記されている

緊密化と開戦

真珠湾攻撃は、ハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃である。 その後20世紀に入り、日露戦争の後の1905年9月に行われたポーツマス条約締結時の仲介などを経て、両国間においての貿易、投資や人事的交流が急増するなどその関係を深める。第一次世界大戦時には、イギリスなどとともに連合国同士としてドイツに対して共に戦った。

しかしその後アメリカでは、急速にその存在感を増す日本に対しての、黄色人種に対する人種差別的感情を元にした警戒感が強まった。1930年代に行われた日本の中国大陸進出政策に対するフランクリン・D・ルーズヴェルト政権による反発や、第二次世界大戦勃発後の1940年6月にフランスのヴィシー政権がドイツと休戦したことに伴い、日本軍が仏領インドシナに進出したことに対して不快感を示し、同政権が対日禁輸政策を取るなどその関係は急速に冷え込んだ。アメリカ国務省のスタンリー・クール・ホーンベックは日中が泥沼の戦いを続ける事がアメリカの利益だと述べている。

アメリカもフィリピンを武力で植民地化していたが、日本に対して中国大陸に保有する全ての権益放棄と最終的な撤兵を要求するハル・ノートによって両国関係は修復不能になり、1941年12月7日に日本海軍により行われたハワイのオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する攻撃、いわゆる「真珠湾攻撃」以降、日米両国は枢軸国と連合国に別かれ敵対関係になり、太平洋戦争において戦火を交えることになった。

日米安全保障体制の構築

サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首席全権と全権委員 1945年8月の日本の連合国に対する敗戦に伴い連合国の主要な占領国として参加し、1951年9月に交わされたサンフランシスコ講和条約の発効までの間、イギリスやフランスなどの連合国とともに日本の占領統治を行った。以降2国間で日米安全保障条約を締結して旧ソ連や中華人民共和国などの軍事的脅威に対して共同歩調をとり続けるなど、友好的な関係を築いている。日本にとって、アメリカは安全保障条約を正式に結んでいる唯一の国でもある(アジアには集団安全保障体制が存在せず、中華民国や大韓民国などの中華人民共和国と北朝鮮を除く各国が個別に、アメリカと安全保障条約関係を締結している)。

冷戦後の日米関係

冷戦が終結した現在も日米関係は国際政治や経済活動において米国の強い主導化のもとに、両国間の貿易や投資活動はその規模の大きさから両国経済だけでなく世界経済に大きな影響力を持つ。2006年10月に発生した北朝鮮の核実験における対応や、同国による日本人拉致事件でもある程度共同歩調をとっているが、アメリカの北朝鮮への援助が北朝鮮の核保有後も繰り返されている。2007年7月30日、アメリカ合衆国議会は、日本政府によって慰安婦にされたとする者への謝罪や歴史的責任などを要求するとしたアメリカ合衆国下院121号決議を出している。日本は韓国や中国に対する賠償問題は全て解決済みとの立場であり、応じていない。

日本の常任理事国入り

ジャーナリストの手嶋龍一は麻生太郎元首相との対談の中で、ブッシュ政権が日本の常任理事国入りを可能にする案を提示しなかったため、事実上これによって日本の常任理事国入りは潰されたと述べた[26]。一方で国際問題評論家の古森義久は、アメリカは日本一国だけの常任理事国入りを支持していたが日本に加えドイツ、ブラジル、インドも常任理事国入りするG4案は安保理全体の大幅拡大が前提となるため、これに否定的なアメリカが反対したのは明白だったはずで、この小泉内閣の誤算がアメリカの支援を失ったと指摘している。

日本への100兆円規模の拠出要求

福田康夫総理大臣はアメリカ政府から、サブプライム住宅ローン危機による資金不足に対応するため、日本がアメリカのために100兆円規模の資金を拠出するように要求されていたが、理不尽な要求として拒否した。

在沖縄海兵隊のグアム移転

米軍海兵隊のグアム移転経費の日本側負担額について、アメリカは2006年に合意した28億ドルの1.5倍にあたる42億ドルを要求[29]。また、アメリカが負担することで合意していた米軍関連施設の一部の建設費約820億円を日本が負担するよう要求している。

移転経費について日本側は、移転する海兵隊が8千人から4千人に半減することから難色を示していたが、2012年4月に両政府は条件付きながら28億ドルとすることで合意した。

原発ゼロ政策への圧力

2012年9月5日、2030年代に原発ゼロを目指す政府方針を説明した藤崎一郎駐米大使に対し、エネルギー省のポネマン副長官は「日本の主権を尊重する」としながらも「くれぐれも外圧と取られないように注意してほしい。この協議は極めて機密性の高いものだ」と発言。翌6日にはアメリカ国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官が藤崎大使に対し、「エネルギー政策をどのように変えるかは、日本の主権的な判断の問題だ」としながらも「プルトニウムの蓄積は、国際安全保障のリスクにつながる」と強い懸念を表明するなど、アメリカ側は原発ゼロ政策の閣議決定回避へ圧力を強めた。19日、政府は原発ゼロ政策の閣議決定を見送った。日本共産党はアメリカの日本の原発政策に対する各種言動を内政干渉と強く批判している。


地理的特徴

北は北極海から南は南氷洋の流氷限界に接するホーン岬まで、南北1万5000キロメートルにも及ぶ細長い大陸であるが、その形状は大きく三つに分けられる。ともに逆三角形をした北アメリカと南アメリカの両大陸と、その間を結ぶ中央アメリカの陸橋およびアンティル諸島の島列である。アメリカを南北に二分する場合は、地形的にはパナマ地峡が境とされるが、人種、文化など人文社会的特性からはリオ・グランデ川を境として、アメリカ合衆国・カナダ区域とメキシコ以南との差異が明瞭(めいりょう)である。前者はアングロ・アメリカ、後者はラテンアメリカとよばれる。面積では、北アメリカ2151万平方キロメートル(51%)、南アメリカ1782万平方キロメートル(42%)、中央アメリカ274万平方キロメートル(7%)である。

地形、地質の配置や構造は、大きくみると南北アメリカともよく似ている。大陸の東側から中央にかけて、地球上でもっとも古い先カンブリア界の安定陸塊が高原状に大きな面積を占める。北アメリカのカナダ楯状地(たてじょうち)、南アメリカのギアナ高地、ブラジル高原などがそれである。その周囲を古生界、中世界の地質が取り囲むように分布する。これに対して、太平洋に面する大陸西側には新期造山帯に属するコルディエラ山系が迫り、北アメリカのロッキー山脈、南アメリカのアンデス山脈がその主軸で火山も存在する。大陸の中央は低平で、ミシシッピ川、アマゾン川、ラ・プラタ川などが流れ、下流に豊かな沖積平野を形成している。北アメリカの北東部は高緯度に位置するため、氷河時代は大陸氷河に覆われ、氷河湖や堆石(たいせき)丘などの氷河地形が豊富で、多くの湖が針葉樹林のなかに点在する美しい自然が展開する。中央アメリカの陸橋部とアンティル諸島はコルディエラ山系の続きで、その間にメキシコ湾とカリブ海を抱いている。

気候と植生については、この大陸が南北両半球のほとんど全緯度にわたるので、地球上のあらゆる気候と植生がみられる。しかし、北アメリカは主要部が寒帯と温帯に位置するのに対して、南アメリカはもっとも広い部分が熱帯に属し、温帯の部分が少ない。とくにアマゾン川流域は熱帯雨林に厚く覆われ、未開の地が広く残されている。このため南北アメリカでは気候景観や植物相に大きな違いが生じ、土地利用や経済発達の相違の理由の一つとなっている。


参考資料

http://100.yahoo.co.jp/detail

http://ja.wikipedia.org/wiki


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