ノート:ベトナム戦争

出典: Jinkawiki

ベトナム戦争 <ベトナム戦争についての基本的事項> 1960年から1975年にかけて起こった。インドシナ戦争後にベトナムの独立と南北統一をめぐって争われた・宣戦布告なしに行われた戦争であったために、ベトナム紛争ともいわれる。また、第二次ベトナム戦争と呼ばれることもある。


<ベトナム戦争勃発の背景> 第二次世界大戦後、アジア、中南米、アメリカなどの多くの国で軍事行動を伴う激しい独立運動が発生した。アメリカに対抗するソビエト連邦は各地の共産主義勢力を支援した。だが、アメリカ、ソビエト連邦ともに核兵器を保有しているために直接戦うことを避け“冷たい戦争”と呼ばれる冷戦の構造が成立した。その対立は朝鮮戦争やキューバ危機のように代理戦争の形をとって表面化した。  1945年にベトナムから日本軍が撤退すると、ホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国が成立した。ベトナムの再支配を目論むフランスは独立を認めなかった。その後フランスは、ベトナム人民軍に惨敗しベトナムから撤廃した。その後関係国でジュネーブ協定が取り交わされベトナム民主共和国の独立が正式に承認された。しかし、北緯17度を境界として南部ベトナムには、ベトナム国が存続した。

<ベトナム戦争の勃発> 第一次インドシナ戦争の間、アメリカは一貫してフランスを支持した、フランスのベトナム撤退以降南ベトナムを軍事、経済の両面を支え続けた。南ベトナムで実施された大統領選挙で大統領に就任したゴ・ディン・ジェムによってベトナム共和国が成立したが、大統領一族による圧制は国民を苦しめた。そのため大統領は国民からの信頼を失った。それを機に、1960年北のベトナム民主共和国に指導された南ベトナム解放民族戦線が結成され、ゲリラ活動を本格化させたことによりベトナム戦争が開始された。


<ベトナム戦争の推移> まずアメリカによる軍事介入が起こる。当時の大統領ケネディは暗殺されてしまい、アメリカは政策を転換することなく戦争の介入の体制が整っていく。

1965年ごろから本格的な爆撃が開始された。これに対してベトナムは、ソビエト連邦や中華人民共和国の支援を受けて、直接アメリカ軍とたたえるようになった。その後アメリカは北から南への補給路を断つために隣国のラオスやカンボジアにも攻撃をはじめた。 このようにして、戦域は拡大していきベトナム戦争は、第二次インドシナ戦争へと拡大した。

1967年ごろには、約50万人ものアメリカ兵がベトナムに投入された。しかしアメリカに戦況の好転は見られなかった。そのために、兵士たちの士気は下がり、国内外の反戦運動に苦しんだ。

その後南ベトナム解放民族戦線は大規模な一斉攻撃を開始。しかし、米軍、南ベトナム政府軍の反撃を受け壊滅状態に陥る。

1975年に北ベトナム軍は全面攻撃を開始。

南ベトナム政府の政府上層部や、その家族、残留アメリカ人らが、サイゴンの沖合で待機するアメリカ軍空母にむけて必死に脱出を続ける中、南ベトナム政府の要人たちは、ヘリコプターで脱出。同日に大統領が戦争の終結と無条件降伏を宣言し、南ベトナムはついに崩壊したのである。


<ベトナム戦争の影響~ベトちゃん・ドクちゃんの例を挙げて~> ベトちゃん、ドクちゃんとは、ベトナム戦争の枯葉剤によって影響を受けてしまった有名な双子である。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。母親は、終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。

このように、終戦すればすべてが終わりというわけではない。 無実な人や、平和を願う人たちにまで、残酷な現実が続いてしまう場合がある。 このベトナム戦争で、世界中の人たちが戦争の残酷さ、残忍さについて考えさせられたのではないだろうか。


参考文献 http://www.weblio.jp/wkpja/content/


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