ノート:中東戦争6

出典: Jinkawiki

目次

中東戦争

第一中東戦争の要因

大戦末期の1945年、3月アラブ連盟(アラブ諸国連盟)を結成し、アラブの統一をめざしたエジプトなどの7か国。 パレスチナについては、戦後、国際連合によってアラブ人・ユダヤ人両地域へ分割する案がつくられ、ユダヤ人はこれを受け入れてイスラエルを建国した。 しかし、アラブ諸国連盟はこれに反対し、イスラエルと戦争になった。これをパレスチナ戦争または、第一中東戦争という。 この戦争は国際連合の調停でおさまり、イスラエルは独立を確保したが、パレスチナから追放された100万人以上のアラブ人を難民となり、以後イスラエルとアラブの対立は厳しさを増した。


第二次中東戦争の要因

エジプトでは、1952年腐敗した王政が倒され(エジプト革命)、翌年共和政が成立した。 その後ナセルが大統領になり、工業化推進のためにアスワン=ハイダムの建設を計画し、またソ連に接近した外交をおこなった。 アメリカ合衆国・イギリスが経済援助を停止すると、ナセルはスエズ運河国有化を宣言し、ダム建設資金の確保を図った。 これに対し、イギリス・フランス・イスラエルは、エジプトに攻撃を加えたことをスエズ戦争第二次中東戦争という。


第三、四中東戦争の要因

中東戦争では、アラブ諸国とイスラエルでの対立が続いてきたが、1967年、第三次中東戦争でイスラエルが勝利してシナイ半島・ゴラン高原などを奪ったため、この対立はより深刻なものとなった。ナセルの後をついでエジプトの大統領となったサダトは、73年シリアと共にイスラエルに侵入して、第四中東戦争をおこした。その後サダトは、イスラエルとの和解に転じて、79年アメリカ合衆国の仲介でエジプト=イスラエル平和条約を結び、82年シナイ半島はエジプトに返還された。


参考資料 高校世界史B 改訂版      世界史 資料集



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